ある卵巣がん患者配偶者の記録

2015年1月から9月までの戦いの日々

告知の翌日

告知を受けた翌日、妻の弟夫婦と母親が大阪から駆けつけてきてくれた。

重病患者とはいえ、痛み止めさえ飲んでいれば外見上は病人には見えないから、顔をみて安心したようだ。

いろいろな話をする中で、妻は自分なりに学んだ知識から、抗がん剤をやりたくない、という話を切り出した。それに対して、妻の母親は抗がん剤でもなんでも医師のすすめる治療を受けてほしい、と言った。

私は、どちらの気持ちも痛いほど感じられたので、抗がん剤が効く場合と効かない場合がある、というような話をした。

その話が気になっていた私の父親が、喉頭がんと食道がんを経験した自身の兄に電話をかけて、抗がん剤をやったかどうかをたずねた。医師にはすすめられたが、やらなかった、とのことだった。この電話で妻の病気を知った伯父は、以降、いろいろと相談に乗ってくれることになる。やはり自分自身ががんになったことで、いろいろと勉強したようだった。

伯父は、最終的に地元の病院ではなく大阪の有名病院で治療を受けたらしく、そこでセカンドオピニオンを受けてみてはどうか?とすすめてくれた。

私としても、やれることは何でもやっておきたかったので、すぐにセカンドオピニオンのためその大阪の病院で婦人科医を紹介してもらうことにした。

このとき、妻はセカンドオピニオンは主治医に知られずこっそりやるものだと思っていたらしく、主治医に紹介状を書いてもらってやるものだと知った時、抵抗を示した。どうやら、他の医者の意見をききたいと言うのは主治医を信頼してないと受け止められて、気分を害するのではないかと思ったらしい。プロフェッショナルなH先生はそんなふうには受け止めないから大丈夫、大きな病気をしたときにはたくさんの人がセカンドオピニオンやるのだし、別にめずらしいことではないよ。先生を信頼してることはちゃんと伝わるよ。と言ったが、あまり納得していない様子だった。

ふと思い立って卵巣がんの治療実績ランキングを調べてみると、県立病院は全国で上位15%グループに属し、かなりの治療実績があることがわかった。主治医のH医師はここの婦人科で悪性腫瘍の専門だから、きっとかなりの場数を踏んでいるはずだ、と推測した。セカンドオピニオンを受ける予定の大阪のブランド病院と、そこまでの大きな差はない。こういうものの見方が正しいのかどうかはわからないが、ひとつの安心材料にはなった。

この日の夜、妻が「足がむくんでいる」とうったえてきた。みると、たしかに足首のくるぶしが見えなくなるほど下肢がむくんでいる。

病気がどんどん進行しているように思えて怖くてたまらなかったが、それとは感じさせないようにふるまいつつ、腹部の膨満で自分の足首にすら手が届かなくなりつつあった妻のため、何十分もかけて足のマッサージをした。