ある卵巣がん患者配偶者の記録

2015年1月から9月までの戦いの日々

再診で診断が胚細胞腫瘍に

二度目の外来の日。

朝一番でPET-CTを受けるために病院へ。PET-CTというのは、がん細胞がブドウ糖をより選択的に代謝する性質から、放射能を加えたグルコースを注射して全身への転移を調べるものだ。入り口には放射能のハザードシンボルが掲げられ、インターフォンで呼びださなければ入室もできない、ものものしい空間である。そんなPET-CTを撮ったのち、レントゲンと心電図、それから追加の血液検査をすませる。

ここで本来ならPET-CTの前に血液検査を済ませる予定だったのだが、血液検査に長い行列ができていてたので確認してもらったところ、PET-CTのほうがスケジュール優先なので先に行ってきてくださいと言われたのだった。あとでわかることだが、PET-CTをやったあとで血液検査をやるのはちょっとまずいことではあるのだが。。。

しばらくして診察室に呼ばれたとき、H医師は前回より明るい顔で言った。

「新しくわかったことがあります。悪いニュースではありません。もしかしてと思って追加で血液検査をしてみたのですが、AFPとLDHの数値が高いです。これは、胚細胞腫瘍に特異的なマーカーです」

「それって、若い人がなるっていう。。。」

「そうです」

この3日間、真剣にリサーチしていたので、卵巣腫瘍のタイプについてはだいぶわかるようになってきていた。

「ディスジャーミノーマあるいは卵黄嚢腫瘍、未熟奇形腫などが考えられます。普通は10代や20代の人がなるものなのですが、ひょっとしたら。。。と思って検査項目を追加してみて良かったです」

「胚細胞腫瘍には、抗がん剤がよく効きます。BEP療法という、これはかなりきつい副作用があるものなのですが、完治が見込めます。また、妊孕性を温存するため子宮ともう一方の卵巣を残すことも可能かもしれません」

ちらっと横をみてみると、いつも黙って話をきいている奥さんが涙ぐんでいた。この数日間、どんどん悪い話を聞かされて不安に押しつぶされそうになっていた心に、医師の「完治」や「温存」という言葉にはとてつもない重みがあった。

とはいえ、「きつい副作用」という言葉を発するときに医師の顔が申し訳なさそうになるのを見逃さなかった。そういうからには、そうとう覚悟のいる抗がん剤なのだろう、と理解した。

H医師からの話がひととおり終わった頃を見計らって、質問したいことをメモした紙を取り出し、たてつづけにきいていった。

まず、約一年前にアメリカのERで撮影していたCT映像ファイルを見せ(これはスキャンしてPDFで保管したものがDropboxに入っていた)、

「10ヶ月前には左卵巣は3-4cm程度のサイズでした。こんなに急速にここまで大きくなるものでしょうか?」

「胚細胞腫瘍は、急速に大きくなるんです」

セカンドオピニオンについても切り出した。

「それから、やれることは全部やりきっておきたいと考えて、大阪の病院でセカンドオピニオンもやりたいのですが、紹介状を書いていただけないでしょうか」

「いいですよ、いくらでも書きますよ」

さらに続けて、

「奥さんはずっと横になって眠れない状況が続いているのですが、入院してから手術までの間、ベッドは座った姿勢にしておくことはできるのでしょうか」

「同じ理由で、ふとんをかけて寝ることができないと思うので、電気毛布もっていってもいいでしょうか、なんだか妙に細かい話ばかりで恐縮ですが」

あまりに変な質問だったためか、ふと場の雰囲気がほぐれたのを感じた。

それから、強い痛みが継続しており処方されたセレコックスがあまり効いていない様子だったので、結局アメリカから持ち帰ってきたAdvilを倍の用量で飲み続けており、そろそろなくなりそうなことに話がおよぶと、

「Advil、いい薬ですよねぇ。安くてどこでも買えるしよく効くし。私もアメリカにいったらドラッグストアでお土産としてたくさん買ってくるんですよ」

「先生、それでお願いがあるのですが、そろそろ持ち帰ってきたAdvilが底をつきそうなので、同じ成分のイブプロフェン200mgのお薬を出していただけませんか?日本だとブルフェンという名前で処方されてるみたいですけど」

「わかりました、出しておきましょう」

診察室をでたあと、紹介状と検査データ一式が記録されたCDを受け取り、近くの処方薬局に駆け込んでブルフェンを受け取って、そのあとまた郵便局に寄って、大阪の病院にセカンドオピニオン申込書を速達で送付した。10日、11日、12日と連休なので、翌日9日までに届かなければ、入院前日の13日の予約に間に合わないと言われていたからだ。

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