ある卵巣がん患者配偶者の記録

2015年1月から9月までの戦いの日々

手術内容についての検討

告知を受けてから手術までの10日間ほどの期間は、手術そのものに関係する事項、すなわちどこまで切ってどこまで切らないのがベストか、に集中してリサーチすると決めていた。術後のことは術後に考えればいいが、手術で切り取ってしまった部位は永遠に失われてしまうのだから、今が正念場だ。人間の体に不要なものなんて存在しないのだから、どんなに細かいことでも全部調べておき、絶対に後悔のない決定をするべきだというのが夫婦共通の考えだった。

原則として、明らかな病巣部はとりのぞきたいが、予想や予防を目的とした切除はやりたくない、という考えであった。

これまでのところ、疑問点は主に以下の3つだった。

  • 患側付属器(卵巣と卵管)だけ切るか、それとも両側付属器と子宮までとるべきか
  • リンパ節は郭清すべきか、それとも生検に留めるべきか、それとも一切切らないべきか
  • 大網は全摘すべきか、それとも部分切除に留めるべきか、それとも生検にとどめるべきか

本来なら医師に聞けばよいのだろうが、医師は標準ガイドラインに沿った治療選択をするのであって、上記のような意思決定はそもそも患者に託されたものではない、と感じていたので、医師との面談の場で持ちだしてしまうと、反論の余地なく勢いで決まってしまう気がしたので、きっちり理論武装を終えるまでは医師の意図から外れた、つまり標準から外れた術式について話すのははばかられたのだ。

たとえば、両側の卵巣をとってしまうと、女性ホルモンがほとんど生成されなくなってしまうので、ホットフラッシュなどの更年期障害がでてしまう。そうなったら女性ホルモン補充パッチを使えばいいと説明されるのだが、そんな簡単なことではないはずだと直感的に思った。ステロイドの例を持ち出すまでもなく、本来は絶妙なバランスで体内調整されているホルモンを人工的に決まった量で投与しつづけることが負の作用をもたらさないはずがない、という考えはそれほどおかしいことだとは思えない。

また、リンパ節を郭清すれば、リンパ浮腫のリスクが生涯つきまとう。「リンパ浮腫」で画像検索したときのショックは相当なものだったようで、ただでさえ足がむくみやすい妻は特にこれを気にしていた。私も、各種論文に目を通していて、リンパ節郭清が生存率に寄与せず、診断的意義(I期かIII期かはリンパをとらないと確定できない)はあるが治療的意義はほとんどない、というエビデンスは入手していた。診断的意義、つまり医学データのためだけに大事な臓器を取り去るなんてとんでもない、と思った。

リンパというのは、血液がはこぶ酸素や栄養を末端の細胞にとどけた後、老廃物などを回収して静脈に戻していくための導管である。そのとき細菌やウィルスなどの異物が混じって血管内にとりこまれないように、リンパ節は防衛の最前線として機能するところである。そんな大切な機能を失うからには、相当に大きな理由がなくては釣り合わない。

乳がんの場合には、センチネルリンパ節といって、がん細胞が転移するときに最初に到達する可能性が極めて高いことがわかっているリンパ節というのがある。だから、そこだけを切除して生検すれば、リンパへの転移があるかどうか、かなりの精度でわかる。

しかし、卵巣がんの場合には、いまだセンチネルリンパ節は見つかっておらず、ランダムに切り取って生検しても診断的意義は低い。そのため、骨盤リンパ節から傍大動脈リンパ節まで、広範囲に取り切って、ぜんぶ生検してまわるしかない、というのが主流の考え方になっている。

となると、明らかに視覚的にそれとわかる腫れが見つかれば取って欲しいが、そうでない場合、全部とるか、全部とらないか、という選択肢になると考えた。そして、私達の出した結論は、リンパは一切とらない、というものだった。

最後に、よくわからないのが大網だ。大網というのは、それまでその存在すら知らなかったが、胃と横行結腸からぶら下がった黄色いエプロンのような脂肪組織で、お腹の皮と小腸が癒着することをふせぐ潤滑機能を果たしたり、腹膜炎が内蔵に飛び火しないようにガードしたりしている、ということらしい。この程度の情報すらネットや書籍ではなかなか手に入らないぐらい、あまり関心をもたれていない臓器のようだった。闘病記などをみていても、大網の切除に反対した、という人は皆無だった。

実際、切除をしたことによる副作用と思われる現象はほとんど見当たらないし、一方で卵巣ガンが腹膜播種を起こしたときには大網にびっしりガンがこびりついていた、というような記述も見かけるので、取ってしまってもいいような気はしたが、やはり原則にもどって「明らかな病変がない限り、予防を目的とした切除はやりたくない」と判断し、最低限の生検程度ならいいか、と考えたのだった。