ある卵巣がん患者配偶者の記録

2015年1月から9月までの戦いの日々

手術当日

手術当日の朝になると、病院に向かうよりも先に妻から電話がかかってきた。

「近くのホテルとってくれる?お母さんにはそっちに泊まってもらうわ。Kちゃん交代して!」

なにかとおもえば、義母は寝心地がわるくて外の冷気がカーテンごしにはいってくる病院のソファベッドでよく眠れなかったようで、持病のリウマチもあって寒い、痛い、と夜通しゴソゴソと動いていたらしく、妻本人はそれが気になって、手術当日だというのに、これまで以上に寝不足になってしまったとのこと。

それをきいて、手術を翌日に控えた病人が見舞い人の心配をするという構図に、みな思わず吹き出した。

このときに限らないが、どんなに深刻な話をしてるときでも、決して暗い雰囲気になりすぎることはなく、常に笑いが絶えることはなかった。

そして、浣腸をなんとしても避けたい妻は、下剤を飲んだ前夜から、祈るような思いで排便を待っていた。そして明け方。

「Iさーん、あれから排便はありましたかー?」

「ありましたー!もうからっぽです」

「どんな便でしたか?」

「何度も行ったので、最後のほうはゆるい便でした」

「そうですかぁ。それじゃだめなんですよねぇ、さいごは水便になってないと。。。浣腸ですね」

「Σ(;゜д゜)」

「ご心配なく、ほとんどの人は浣腸になるんですよ」

それを先にいわんかい!と心でつっこんでいたそうで。。。

ともあれ。午後からの手術に向けた準備は万端。

点滴のラインをとってから、血栓予防のための弾性ストッキングを履いて、自分の足で手術室まで歩いて行った。

予定されている手術時間は4時間。病棟の立ち入り区画のところまで見送ったあとは、手術中に何かあれば呼び出しがかかることになっている。

基本的に、卵巣腫瘍の手術の場合には、手術中に行う迅速病理の結果にもとづいて意思決定を行う必要があるので、呼び出されることはほぼ確実。

そして手術室に消えてから約2時間後、看護師が病室まで呼び出しにきた。

覚悟を決めて深呼吸してから手術室まで歩いて行くと、そこで通されたのは、手術室の隣にあるブリーフィングルームのようなところで、病院のシステムに接続された端末が置いてあった。「病床利用率95%」のような院内職員向けのニュースが表示されていた。公立病院の経営がどのようにして行われているのか、ふと興味が湧いてきた。

そんなふうに思考を漂わせていると、しばらくして手術衣からマスクや帽子をとりながらH医師が現れた。いつものおだやかな印象と違って緊迫感をただよわせ、まるで戦場から補給のためもどってきた兵士のように見えた。一気に緊張感が高まる。。。

「いま手術中ですので手短にお話します。まず、患側の卵巣はきれいにとりました。この際、子宮との癒着があったので、これをまず切断・焼灼しました。それから、S状結腸のほうとも癒着があったので、こちらは子宮内膜症の血液によるものだと思いますが、これを丁寧にはがしていきました。リンパや健側卵巣は触診した限りではとくに問題なさそうでした」

「はい」

「それで、腫瘍ですが、迅速病理の結果、やはり卵巣ガンでした」

「そうですか。。。」

「こうなると、標準術式としては、両側卵巣と子宮を全部きれいにとる、ということになるのですが。。。」

これを聞いて、正直ぐらっときた。

手術というのは、準備から回復まで、心身ともにものすごく負担がある。術後いかに大変かは、卵巣ガン患者の闘病ブログなどを大量に読んで知っていたので、なおさらだ。もし、いずれにせよ取ってしまわないといけないのならば、この一度の手術でとりきってしまうほうがいいかもしれない。

しかし、H医師の説明からは、最初期の1a期である可能性はまだ消えてない、と感じた。子宮ももう一方の卵巣もきれい、リンパにも肉眼的にわかる腫瘍はない。もし1a期で低悪性度という幸運があれば、妊孕性温存術式の適用になる。

答えに迷っていると、H医師のほうから切り出してくれた。

「奥さんは心の準備がないかもしれませんから、まず患側卵巣のみをとって、じっくり病理検査をやってから、改めて再手術というのがいいかもしれませんね」

「はい、ぜひその方向でお願いします」

かろうじてそう回答したが、正直いって、今まさに大変な手術をしている最中に再手術の話をされて気が遠くなりかけた。

今こうしている間にも、妻は開腹されたまま、麻酔で眠っているのだ。

しかし、一度切った臓器は二度と戻ってこない。だから、本当に絶対に必要だと納得できるまでは切りたくない、と話し合ったことをなんとか思い出したのだった。どんなときでも、未来というのは不確実だ。いま目の前にある選択肢のなかで、もっとも未来の選択肢をせばめないものは何か。それは、たとえ再手術になるとしても、今は手術の領域を最小限にとどめる、という選択なのだ。

今でも思うのだが、こういう場合にどうするかという意思決定は、とっさの判断で正しい選択をすることは非常にむずかしいので、事前に徹底的に場合分けをしてシミュレーションし、回答を決めておくのが望ましい。そうでないと、あたらしい情報が出てきたときにとっさの判断ができず、右往左往してしまう。とくに、すぐに判断をしなければいけない今回のような場面ではなおさら。

このとき、わたしが「一度の手術で終わらせてあげたいので、もう両側卵巣と子宮までとってしまってください」と答えていたら、その後の妻の運命は大きく変わっていただろう。

どのような新しい情報がでてきても、最小限の手術で済ませたいという原理原則のような部分を何度もしっかり話し合って決めていたからこそ、ほとんど迷わずにその選択をすることができたのだ。

「わかりました。ではこれから閉腹していきますね」

H医師はそう答えて、手術室に消えていった。

個室に戻ったあと、次に呼び出されたのは手術が終わった後だった。手術開始から3時間ほど経っていた。

ふたたび手術室に向かうと、今度は準備室のようなところに連れて行かれ、実際に取り出した卵巣を目にすることになった。

かつて妻の一部だったそれは、異様に大きく膨らんで、まるで胎児の頭ぐらいのサイズになっていた。中にあった液体が出たあとも、外皮は縮むことなく伸びきっていた。

そして、切開された卵巣を指さしながらH医師は切り出した。

「まず、この小さな塊、これがいわゆる上皮性腫瘍です」

それは、2cmほどのサイズで乳頭状に盛り上がった白っぽい塊であった。それと似たような小さいものが、他にも1-2個あった。

しかし、それよりも目を引いたのは、その反対側についていた巨大な肉の塊だ。見た目も全く違って、こちらはまるで牛のレバーのようにつるっとした質感で、赤い肉の色をしていた。すでにメスで真っ二つに切断されており、その部分を指さしながらH医師は続けた。

「こちらの組織が何なのか、これはまだなんともいえません。ここに脂肪成分があります。もしかしたら肉腫などの可能性もありえます」

肉腫、ときいて、心臓の鼓動が高まるのを感じた。確かに、わずかではあるが、脂肪のような半透明の組織が肉塊のあいだに埋もれている。

それよりも少しショックを受けたのは、こんなに大きく堂々と姿を見せている物体の正体を、医師が「わからない」と言ったことだった。悪性腫瘍の専門医であれば、経験と勘から見ただけでたぶんこれ、といえるのかもと思ったのだが、やっぱり見た目だけでは重要なことは何一つわからず、顕微鏡的にみていくしかないということらしい。

H医師はさらに続けて、術前の診断を確認するように説明していった。

「ここに古くなった血液がこびりついています。やはり、むかしから子宮内膜症があって、そこからチョコレート嚢胞が生じて、ガン化していったのでしょう」

「卵巣ガンの場合には血栓のリスクが高いので、血液をサラサラにする薬を一週間ほど注射しましょう」

この卵巣の実物をみることができるのは最初で最後。カメラを持ってくればよかった。。でもなんとなく不謹慎な感じもするし、どうせ病院側でも撮影はしてるだろうから、やっぱりしっかり目に焼き付けておこう、と思いなおした。

そしてひと通り説明を受けたあと戻ってみると、もう手術をおえた妻は病室に戻ってきていて、数名の看護師たちが妻の術後管理のためにいろいろとやっているところだった。談話室で待っている義母と両親に合流して、いましがた見たもの、医師からの説明などを伝えた。

そして準備がおわりましたと看護師から連絡を受けて病室に戻ってみると、たくさんのチューブと酸素マスクにつながれた妻の姿があった。

意識は朦朧としているが、話しかければ少し反応がある。呼吸は荒く、声は出ない。

妻のこのような姿を初めてみて、動揺した。

「綺麗にとりきれたからね、よかったね」

弱々しくあいづちをうっているのがわかった。

このような様子で、本人と会話ができるわけでもなかったので、家族にはもう帰ってもらうことにした。

それから、看護師が頻繁に、おそらく1時間おきぐらいに様子をみにきてくれた。

酸素マスクで常に喉がカラカラになっていたが、水を飲むことは許されてないので、口を潤すために吸い飲み器で水を口にふくませて、そら豆のような形状のうがい受けに吐き出す。導尿チューブ経由で出てくる尿をためるバッグがベッドの脇にぶら下がっているが、尿の水位が上がってくるのでチューブの角度を変えてバッグに流し込む。腹に巻いた腹帯を何度も開いて傷口の状態をチェックする。腹筋がつかえず自力では寝返りもうてないので、姿勢をかえるためにベッドに敷いたバスタオルを使って持ち上げている間にくさび形の枕を左右交互に差し込んでいく。

抗生物質、ビタミン輸液、痛み止め、など点滴が接続されているのに加え、腹部からは陰圧のかかったドレーンが出ていて、自分でスイッチを押して開放する硬膜外麻酔も背中にささっている。これは安全装置がかかっていて、30分に1度しか使えないようになっている。

他人に気を遣う性格の妻は、うがいのためだけに何度もナースコールをするのは気が引けるようで、1時間おきのうがいや導尿チューブのクリアは私がやるようになった。

夜になると、麻酔が切れてきて、痛みが強く出てきた。硬膜外麻酔を限界まで使っても、効いていないようだった。

「おへそよりもちょっと上まで切ったみたいだから、硬膜外麻酔が上のほうまで届いてないんだと思うよ」

腹部の神経は、脊髄の節ごとに輪切りにした平面を取り囲むように通っているので、硬膜外麻酔がきく領域は麻酔薬が注入された脊髄の範囲と一致する。

これが届かない範囲へは、ロピオンなどの静脈注射による痛み止めに頼るしかない。

さらに、痛み止めの副作用で出てくる吐き気をおさえるために別の薬を点滴する。

文字通りの薬漬けで、ある問題に対処するとまた別の問題がでてくる。痛い、口が乾く、尿がいっぱいになる、吐き気がする、姿勢を変える、傷をチェック、血圧の計測。。。のエンドレスな繰り返し。

結局、この日はほとんど眠ることもできなかった。