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ある卵巣がん患者配偶者の記録

2015年1月から9月までの戦いの日々

仕事のこと

深夜に導入したPCAポンプのおかげで痛みは緩和されて妻の状態は落ち着いたが、酸素マスクに呼吸が検出されないことによるビーッ、ビーッという大きな警報音で何度も目が醒める。

妻は口呼吸してるので、鼻カヌラで検出できないだけの誤報だと説明し、ナースにお願いして警報の音量を下げてもらう。

途中、何度も人の出入りがあってなかなか眠れない。

明け方、ナースBobbieの支援でトイレに行って採尿、エネマ(浣腸)にトライ。しかしエネマは便座に座ってすぐ薬液が落ちてしまったらしく、失敗。

6:30am、ステロイドのDecadron 4mg注射。

9am、朝食。カフェテリアで紅茶とブルーベリーパンケーキを買ってきた。パイナップル、スイカ、カンタロープ、友人のTさんが持ってきてくれた温州みかんも少しづつ食べる。

10:15am頃、私一人で病室のすぐそばの空いてるconsultation roomに入って、仕事の今後のことについてロンドンにいるパートナーとSkypeで話し合う。昨夜、予後の悪い種類かもしれないとドクターに言われたことも伝えた。ビジネスライクに淡々と伝えたかったが、一度出てしまうと涙は止まらなかった。

私は、アメリカにきてからの10年間、いわゆる会社勤めをしたことがない。シリコンバレーで日本企業の米国オフィス立ち上げを2度やったあと、今はパートナーと立ち上げた自分の会社の創業者として、ウェブやモバイルアプリの開発をやってきている。パートナーはロンドン在住、私はラスベガス在住と、ずいぶん離れた場所で仕事をしてきていたが、近々ニューヨークに集結する予定で、引っ越しの準備を進めてきていた。ノートパソコンとインターネットさえあればどこにいてもできる仕事とはいうものの、この病室には日夜問わず常に関係者の出入りがあり、とても仕事に集中できる環境ではない。

それに何より妻の病気のことが心配で、パソコンやiPadを立ち上げるとすぐ医療情報サイトを開いてしまう。3月にPET-CTまで撮ってall clearになったばかりだったのに、4月に入ってすぐ再発し、それから2-3週間で麻薬を使っても痛みのコントロールに難渋するほどの状況になってしまうなど、あまりに症状の進行が速すぎると感じていた。自分の能力の限界まで猛スピードで医学的知識を学んでいかないと、その場その場でベストの選択ができなくなり、一生後悔することになるかもしれないという焦りが常にあった。

もうこの頃には、アメリカの国立生物工学情報センター(NCBI)のPubMedという医学論文サイトをサーフィンしていくのが日課になっていた。妻の病気に関連する情報を探しまわるうち、医学界でも英語圏のほうが情報量が圧倒的に多いという印象を持つようになり、最初から英語の論文を探すことが多くなった。それに、得た知識を使って限られた時間のなかで効率よくアメリカ人医師たちとコミュニケートするには医学の専門用語だけでなく、どういう動詞と組み合わせて使うのかという文法やコンテキストも大切になってくるので、英語圏の医師たちが普段つかう言い回しに慣れておくことが大事だという考えもあった。

そんなわけで、パートナーには、申し訳ないけど今は妻のことに自分の100%の力を注ぎたい、という気持ちを正直に伝えた。仕事は、できる限りのことはやるけれども、妻のことが再優先だと。一緒に会社を立ち上げたパートナーには、裏切りとも、死刑宣告のようにも聞こえただろうと思う。しかし妻と私は一心同体だから、私自身が大病を患って仕事ができなくなった、というのと同じことだった。私にとっては、会社がつぶれても妻さえ生きていてくれれば這い上がれるが、妻がいなくなった世界というのは仕事どころか生きていく希望そのものが失われてしまうように思われた。だから、これまでの人生で貯めてきた資金をほぼ全て投入して作った会社だったが、迷いは全くなかった。

しかし、ありがたいことにパートナーはこんな自己中心的な決断に理解を示してくれた。しばらくは何とか自分がカバーするから、緊急時の対応と、技術的に専門的な領域で他のメンバーへ指示を出すところだけ、時間を見つけてやってほしい、と言ってくれた。状況は日々刻々と変わっていくだろうから、定期的にこうやって状況を共有して、臨機応変にやっていこうと言ってくれたのだ。つくづくありがたかった。

仕事の打ち合わせが終わって病室に戻ると、妻がシャワーで髪を洗いたいというので、一緒にシャワーに入る。長く立っていられない妻のために、最短の時間で体と頭を洗い、さっと上がってバスタオルで全身拭き取り、すぐに病衣を着せる。

自分もさっとシャワーを浴びて出たあと、弾性ストッキングをはかせ、すべり止めつきの靴下をはかせ、ずっと座りっぱなしの姿勢でむくんでいた足をさする。

退院に向けて歩きたいという意志を示したので、点滴棒をひっぱりながら、病棟を移動して以来はじめての室外へ。やはり、痛みをコントロールできているかどうかが本人の意欲に直結していると改めて実感する。

ラスベガスの西側の山々が見えるエレベーターホールまで歩く。そこからさらに最初にいた北病棟456までぐるっと回って、戻ってくる。途中、疲れてエレベーターホールで休憩。水を飲みたいというので病室からダッシュでもってくる。しばらく休んでから病室433へ戻っていく。

12pm頃、昼食もしっかり食べる。カフェテリアでチキンヌードルスープ、フライドチキン、サラダを買ってきて、少しづつ食べる。

やはり患者向けのルームサービスより見舞客向けのカフェテリアのほうがおいしいのだ。良心的な価格設定でありつつ、ここのフライドチキンは熱々で結構おいしいし、サラダもカリフォルニアのベジタリアン向けファミレスFresh Choiceのようなバフェ形式で、いろいろな種類の野菜を食べることができる。

シリコンテープを貼るとお腹の手術痕が綺麗に消えるとの噂をきき、ScarAway Flex Silicone Scar Treatment SheetsをAmazonで発注する。

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3pm頃、友人Sさんに連れて来てもらって母が病室に。お願いしていた緑茶入りThermos(魔法瓶)、生理用ナプキン、箱ティッシュ、緑茶、弁当、水などのサプライを持ってきてくれる。

4pm頃、ちょっとつかれたので仮眠。

5pm過ぎ、執刀医のドクターCがきて、病理の組織型について話をする。今日はPost-operative followup(術後フォローアップ)の予定日だったのだ。病理のセカンドオピニオンのためWashington D.C.のがんセンターに送っているのではないかとのこと。

6:15pm、PCAポンプ残量が切れる。導入してから約18時間持続したことになる。

PCAは49mLから始まって、一回押すたびに1.25mL放出される。濃度が0.2mg/mLなので、一度あたり0.25mgの投与となる計算だ。押せるのは15分に1度なので、最大1mg/hr = 4mg/hrとなり、錠剤の2mg * 2 / 4hrと一致する。やはり、同じ量でもタイムリーに投与できること、すぐに効くこと、が重要だと再確認。

薬の処方が出ている端末の画面をこっそり撮影。

6:45pm、夕食。母が作ってきてくれた、お粥とお漬物とスープとおにぎらず。

9:30pm頃、歯磨きをしたあと、ちょっと痛みが強くなってきたらしい。アイスパックで冷やすがなかなか改善しない。

というわけでDecadron注射。同時にColaceとパウダーを水に溶かした下剤を飲む。