ある卵巣がん患者配偶者の記録

2015年1月から9月までの戦いの日々

航空券と鎮痛剤

7:00am起床。

引越し荷物は昨日送ったが、今日中にこの家を賃貸で貸し出せる状態にしてから退去しないといけないので、これから最後の追い込みだ。

家具付きで貸すことになっているので、ベッドやソファなどの大きな家具はそのまま置いていけるが、自分たちが今ここにいる以上、清掃用具など最後まで必要なものというのはあって、なかなか捨てるタイミングが難しい。

食器類はかさばるので引っ越し荷物としては一切送らなかったが、無難でプレーンなものは貸す家具の一部として置いておける。そうでないものはほとんどドネーションに出したり捨ててしまうが、とくに思い入れのある記念の食器などは、まとめて倉庫に入れることにする。

炊飯器やトースター、Nespressoも残していく。

8:30am、動物病院から愛犬の検疫書類が戻ってきたと連絡が入る。

これが確保できてからでないと航空チケットの予約もとれないので、帰国予定は全てがこれ待ちだったといえる。たったひとつのミスが命取りなので、現物をこの手にとるまで安心できない。すぐに動物病院へ車を飛ばして受け取りに行く。

9am、戻ってすぐ関空の検疫所に電話して書類の最終確認を求めると、先日のやりとりでほぼ確認はできているから、待たずに先にチケットを取れと言われる。

10amから11amにかけて、いよいよフライトチケットの予約。条件がいろいろあるので、電話をかける前に一通りメモしておく。

今回は、以前とちがって誠実そうな男の人が電話に出てくれたおかげで、日々テンパッて爆発しそうな精神状態に変な刺激を受けることなく、順調に話が進んでいく。

ラスベガスから日本へは直行便がないので、サンフランシスコかロサンゼルスを経由することになる。いつもと違うことをするリスクを冒したくないので、航空会社はユナイテッド、サンフランシスコ経由と決めていた。ここのところ毎日ネットで空席状況をチェックして、空席がまったくないという状況でないことも確認していた。

便の選択については、まず国際線は一日一便(UA35便、11:05amサンフランシスコ発→3:00pm関空着)なので迷うポイントはなかった。

犬を機内持ち込みできるのは一便一匹までと、これが一番制約がきついので、まず確認してもらう。次に、妻はビジネスクラスで、車椅子が必要であること、同行する母と自分はビジネスでもエコノミーでもよいが、なるべく近くに座りたいことなどを伝える。

すると、ビジネスクラスはあと一席しか空いてないし、そもそも犬を連れて入れないと言われる。そこで、まず妻のビジネスクラスを確保してもらい、残り二人はエコノミープラスにアップグレードすれば二列後ろの座席が二つとれる(妻の座席はビジネスクラスの最後列だった)と提案され、即決する。

次に、ラスベガスからサンフランシスコへの国内線は2便の候補があった。

  • UA1721便、6:10amラスベガス発→7:46amサンフランシスコ着(乗り継ぎ3時間19分)
  • UA1440便、7:01amラスベガス発→8:50amサンフランシスコ着(乗り継ぎ2時間15分)

妻の状態を考えると、乗り継ぎにそれなりの時間は必要だが、2時間もあれば十分だ。よってUA1440便を希望したのだが、残念ながら2席しか空いてなかった。

いざというときのことを考えると私は妻のそばにいる必要があるため、母だけ一人で先に行ってもらうかどうかという話だが、アメリカ慣れしてない母に一人で先にサンフランシスコへ飛んでもらって合流するのはトラブルのもとだと考え、やはり三人揃ってUA1721便で飛ぶしかないという結論になった。

少し乗り継ぎの負担は大きいが、なんとか明日のフライトを確保できてホッとする。

11am、背中のLidocaineパッチ貼り替え。

12:20pm、Fentanylパッチ貼り替え。妻が痛みのあまり大泣きしてしまう。

薬に耐性がついて効きが悪くなってきたのだとすると、明日のフライトや入院まで持たせることができない。絶望的な気持ちになりかけるが、なんとか冷静さをとりもどして思考を整理する。

妻の足はぱんぱんに浮腫んでいて、これがFentanylパッチの吸収の悪さにつながっているのではないかと考える。Fentanylパッチは経皮吸収型で、一定の速度で放出される。しかし、浮腫んでいる箇所というのは水が還流されずに滞っているので、吸収された有効成分も一緒にとどまってしまっているのではないかと考えた。

そこで、パッチを貼る箇所を、足の内腿ではなく、むくみのない下腹部に変更してみた。これで効きが戻ってくれることを祈りつつ。

1pm、病院の薬局に電話してみると、やはりFentanylロリポップとLidocaineの許可が保険会社からおりてないという。ドクターW次第だと言われ、ドクターWにコンタクトを試みるも、ドクターのオフィスと病院でたらいまわしにされ、まったく連絡がつかない。

アメリカでは、ドクターは病院に所属しているのではなく、自分のオフィスを別にもっており、病院はあくまで急性期の患者を処置するための「ドクターみんなで使える共有設備」のような機能を果たしている。その代償として、ドクターのオフィスと病院がうまく連携していないというトラブルが起きる。

今回の場合、妻は入院中に執刀医である婦人科ドクターCから腫瘍内科ドクターWへと引き継ぎが行われたので、妻がドクターWのオフィスに通っていた時期は存在しない。しかし、ドクターWの正式な連絡先というのは彼女のオフィスであり、それ以外の連絡手段はない。オフィスに電話するたびに「あなたはうちの患者ですか?でなければドクターWへはおつなぎできません」と言われてしまう。事情を説明しても、受付はまるでロボットのように同じことを繰り返す。病院のスタッフに聞くと、やはりオフィスの番号を教えられる。こんな感じで、いつもドクターWと連絡がとれないという状況が続いている。

こういうとき、どうすればいいのか誰も教えてくれなかったのだが、ふと退院時にいろいろ説明してくれた感じのよいケースマネージャKatieの存在を思い出し、電話をかけてみると、事情を理解してくれて折り返し電話をもらえることに。

2pm過ぎ、妻の様子が落ち着いてきた。やはり、むくんだ内腿にFentanylパッチを貼っていたのが効きの悪さにつながっていたようだ。

3pm、なかなか電話がかかってこないのでしびれをきらして病院の薬局へ向かう。

行ったはいいが、やはりドクターWからの承認が通っていない。処方箋を書いてくれたインド系の内科ドクターPでも対応できるかもしれないと思い、連絡してもらおうとしたが、彼には権限がないとのことだった。「こうなったらドクターWを待ち伏せして直接つかまえて直談判するべきよ」というとても協力的な薬剤師Lalyのすすめに従い、隣のビルにあるドクターWのオフィスSuite 200に行き、患者のふりをして窓口で名刺をもらい、まずは携帯番号をゲット。すぐ電話をしたが患者の診察中だったので手短に「薬局があと1時間で閉まる、私達は明日の早朝に日本へ発つ、だから薬が今すぐ必要」との用件のみつたえて電話を切る。

その後、薬局に行ってみるが、やはりオーダーが通っていない。ふたたびドクターWのオフィスの待合室で座り込みしていると、ようやくスーパーバイザーらしき人物が登場して、いろいろ説明してくれるが、どうも内科ドクターPからドクターWへの引き継ぎに問題があったらしく、両名いずれからもオーダーが出せない状態になっているようだと言われる。

その件をすぐ病院のケースマネージャKatieに連絡すると、それはまずいと状況を察してくれたらしく、直接薬局に電話してくれる。

その後、ドクターWからパスワードを忘れたのでログインできない、などの連絡が薬局に入るが、待ちに待った最後、5:10pmにようやくオーダーが通り、薬局のスタッフ全員と歓声を上げてハイファイブ。ドクターWも薬局へ姿をあらわし、good luckと言ってくれる。

その後も、Fentanylロリポップの保険承認がおりていないだの、Lidocaineの保険適用後価格が高すぎるだの、バーコードスキャンが通らないので手動で金額を入力するだの、クレジットカードがdeclineされるだの、色々トラブルがあるが、薬剤師たちのすばらしい働きで最終的に$1,200以上払ってFentanylロリポップとLidocaineをゲット。保険関連については、日本に戻ってから引き続きプッシュするとのことで、薬剤師Lalyが名刺をくれる。

本当にここの薬剤師は素晴らしいチームだ。

6pm、帰宅してレンタル倉庫に入れる分の最終整理。

8pm過ぎ、友人Jに来てもらい、倉庫へ荷物と車を運ぶのを手伝ってもらう。

9pm過ぎ、自分の車に乗って倉庫へ。ギリギリ10pmのクローズに間に合う。車と荷物を倉庫にしまって施錠し、帰りは友人Jの車で自宅まで送ってもらう。

この帰り道、友人Jは母の印象を「君の母親は素晴らしい人だ。こんな大変なときでなければもっと一緒に話したかった」と言ってくれた。

友人Jに駐車場のトランスポンダーと車の鍵を渡し、これ以降、友人J夫妻に不在中の車と倉庫をケアしてもらうことになる。

10pm過ぎに自宅にもどり、妻をシャワーに入れてから最後の片付け、掃除。

冷蔵庫も、明日の朝の分を残して空に。

0am前、4時間後に目覚ましアラームをセットして就寝。