ある卵巣がん患者配偶者の記録

2015年1月から9月までの戦いの日々

入院、そして決意

1am頃、足に巻いた浮腫防止のバンデージがほどけているのをなおそうと、妻がバリバリとベルクロをはずす音で目が覚める。

バンデージを巻き直してあげながら話をすると、昨夜の食事はこの直前に食べたらしい。きゅうりの酢の物は食べたが胡麻豆腐と手作りのキッシュは味が濃くて食べられなかったという。少しでも食べられてよかったね、といって御膳を下げる。

2am頃、筋弛緩薬cyclobenzaprineのためにバナナを半分食べる。

吐き気と痛みを繰り返す。

3am頃、アイスパック出動。ベッドを濡らさないよう、下にバスタオルを敷いて、アイスパックをタオルで包む。

3:30am頃、体を冷やし過ぎるのも良くないので、アイスパック撤去。

6am頃、ぐっしょり汗をかいたというので着替えさせる。

7:30am、低速絞りのジュースを少し飲み、フルーツを食べる。

8:00am、病院に向けて父の運転で出発。後部座席に座布団を敷き詰めて、ストールを毛布代わりに使う。

病院に到着後すぐ車椅子に乗り、総合受付を済ませる。

採血のオーダーが出ているが、採血の順番待ちもゴールデンウィーク明けで長蛇の列。予期していたこととはいえ、かなりつらい。

痛さと吐き気で苦しむ妻を車椅子に乗せて移動していると、急性期の病院とはいえ、妻ほど重症の患者はほとんど見かけないことに気がつく。

田舎の病院なので年寄りの患者が多いのだが、一見してどこが悪いのかわからないような人がほとんどだ。1割しか医療費の自己負担がない特権的な世代であることをいいことに、病院をサロンがわりに使って「◯◯さん最近病院で見かけへんなぁ。病気でもしたんやろか」というジョークもあった時代の風習はまだ健在なのだろうか。足を骨折したのだろう、足をコルセットで固定して車椅子を自分で押している若い人とエレベータですれちがう。彼などは治療の山場はこえて、あとは回復を待つだけといった様子だ。

ふと、いまこの病院で、先の見えない恐怖に支配されているのは自分たちだけで、回り続ける世界から取り残されてしまったのだ、という感覚におそわれる。言葉には出さないが、妻も同じようなことを感じているのがわかる。うつむいて顔をあげようとしないのは痛みのせいだけではないのだ。

採血の順番を待つ間、顔に化粧をたっぷり塗りこんだおばちゃんたちが、車椅子でぐったりしている妻へ遠慮のない好奇のまなざしを送ってくる。その視線から逃げるように、妻の肩をさすりながら、待合室から少し離れた人気のないところへ車椅子を押していく。周囲のさほど重症でもなさそうに見える患者たちに、ひがみのような、ねたみのような、あるいは憎しみのような、どす黒い感情がふつふつと湧いてきてしまう自分に対しても嫌気がさしてくる。

妻の気持ちを考えれば考えるほど、この孤独と恐怖が支配するネガティブな思考の連鎖から妻を守らねばならない、という思いを強くする。この世でたった二人きり取り残されても、私は妻の理解者として、守護者として、どんなときでもそばにいて支える存在でありつづける。そう心に誓った。

9:30am、ようやく採血。全身状態がよくないので、いま採血しても問題ないかを事前に確認する。

10:30am、婦人科の外来窓口で受付をすませると、つらそうな妻の様子をみたナースが「待つあいだ外診室のなかに入ってベッドで横になりますか?」と気を回してくれたので、ありがたくお言葉に甘えさせてもらう。採血の結果が出たらすぐ診察しますね、と言ってくれる。

いよいよ順番がきて、主治医のドクターHと2ヶ月ぶりの再会。アメリカで入院しているときから何度もメールでやりとりしていたので、現状についてはほぼ共有されている。

主治医に会って聞きたいと思っていたことをリストアップしていたので、立て続けに質問していく。

  • 純粋な肉腫なら血行性転移が多いらしいが、リンパ節転移ということは肉腫ではない可能性も高い?→やはり未熟奇形腫をうたがう。未熟奇形腫ならBEP療法になる
    • 最新の婦人科腫瘍学会の卵巣がんガイドラインでは未熟奇形腫の扱いが変わって、グレードが1や2であっても化学療法をするという方向になってきている
  • 吐き気が強いので食欲が無い。飲み物も飲めず、衰弱している。アメリカではカリウムを補給したこともあった→補液して状態を良くしましょう。抗がん剤開始前の尿量確保の意味でも重要。腎臓クレアチニンの値をみていく。現時点ではカリウムよりナトリウムが心配
  • 大量の寝汗をかく→これも水分補給で
  • アメリカでの手術前のマーカーは陰性だった。マーカーに反応がないということは、CT/MRIなど画像で治療効果をみていくことになるのか?→Yes、今日の採血でLDHの値は700まで上昇している
  • 痛みの原因となっているのは傍大動脈リンパ節の腫大で間違いないか?→そうだと思う
  • リンパの腫れはほぼ全てが左側だったという。やはり以前の卵巣病変からの転移?→そうだと思う
  • 左鎖骨上のリンパ節腫大、みぞおちに違和感がある→腹部大動脈のリンパ節が非常に大きくなった場合には心窩部にしこりができたり腰痛が出たりする

最終的にはUCSFでの病理診断待ちという状況にはかわりないものの、今わかっている範囲の情報をもとに認識を共有していく。一通り相談が終わったあと、入院の指示をだしてもらう。個室を希望したが、空きはないとのことだった。

11am、入院手続きをして5階東病棟の4人部屋505号室へ。病衣はレンタル。病室に到着すると、思ったより状態が悪いとナースの判断もあって、たまたま空いている重症患者用の観察室へ移動させてもらえることに。

数ヶ月ぶりのこの病棟では、前回の入院時にお世話になったナースも何人か見かける。あのとき、もう二度と来ませんという気持ちも込めて「お世話になりました」というお礼の手紙を出して退院してきたのに、「あぁ、やっぱり戻ってきたのね」と思われるのはイヤだろうな、と妻の気持ちを察する。でも、この病院のナースは非常によく気がつく人たちばかりで、そういう言ってほしくない言葉を安易に発することはない。こちらの顔を認識すると、さりげなく顔の表情で「覚えていますよ」と伝えてくるが、それ以上に踏み込んでくるようなこともない。そういったささやかな気配りもありがたかった。

12:15pm、サブドクターOの手引でCVポートへ点滴開始。ビーフリード輸液500mLとプリンペラン10mg+ラクテックD輸液500mL。

1pm、私が一階の食堂へ昼食(醤油ラーメン)に行って、帰りに売店でティッシュと紙コップを買ってかえると、ちょうど部屋を516号室に移動中。前回の入院で滞在した514号室の隣の隣の部屋だ。

この516号室は重病患者用で、室内にトイレやクローゼットがない。ソファもなく、長方形の木箱にクッションが乗っているだけの椅子があり、横になることはできそうだが、背もたれもない。ちょっと不自由だけど贅沢は言ってられない。

2pm、妻の依頼でミネラルウォーター、ウィダーインゼリー、割り箸を買ってくる。ついでにテレビと冷蔵庫を使えるようにするためのカードも。

3pm頃、薬剤師がきて、アメリカで処方された現在使用中の薬についてひと通り説明、すべてナースセンターであずかってもらうことに。

4:45pm頃、ビーフリード点滴が終わり、ソルデム3AG輸液500mL+プリンペラン10mg/2mLに。

本日から朝晩NSAIDsでCOX-2阻害薬のセレコックス錠100mg+胃薬のムコスタ錠100mgを服用。セレコックスは、COX-2を選択的に阻害するので胃腸障害の副作用が少なく、かつそれ自体に腫瘍の血管新生を阻害する抗癌作用もあると言われている薬だ。Advil(イブプロフェン)の大量服用でも胃腸障害のなかった妻なら全く問題ないだろう。

5pm頃、緩和ケア科のN先生がきて、今後は痛み止めを日本仕様の薬剤へとリプレースしていくことについてディスカッション。

5:30pm、セレコックスとムコスタは今回限りで停止とのこと。点滴で入れるのかな?

5:45pm、Fentanyl 50mcg/hパッチを剥がし、代わりにシリンジでオキファスト50mL持続静注でオキシコドン1.3mL/h投入開始。

6pm過ぎ、両親が弁当やもろもろを持ってきてくれる。

7pm、吐き気を訴えたのでプリンペラン静注。

まだ時差ボケがあったので8pmぐらいに眠ってしまったが、その間に、妻は右膝がズキズキ痛くなって温めたりしたがなおらないので痛み止めをもらったらしい。

11:30pm、バタバタと看護師が出入りしてベッドを作りなおし、「お休み中すみません、下着はどこにありますか?」と聞かれて目が覚める。どうやらお漏らししてしまったらしい。

その後、本人にきいてみると、アメリカでの手術後ずっと尿が出ているかどうかの感覚がほとんどなく、それでも今までは自分でトイレに行っていたので漏らしたことはなかったが、この病室にはトイレがなく、毎回ナースをよんで車椅子でトイレに行かなければいけないため、どうしてもトイレに行く頻度が落ちて、漏らしてしまっていたらしい。

右膝の痛みを訴えてから1時間ぐらい経って、やっぱり痛いので痛み止めをブーストして欲しいという依頼をすると同時にトイレに行って、戻ってくると膝の痛みがおさまっていたので、排尿障害と関係がある?あるいは、浮腫で膝に水が溜まっていた?ナース的には動かしたのが良かったのかも、とのこと。

0am過ぎに弁当を食べる。きゅうりの酢の物、かやくご飯がおいしいらしい。

食事を終えて1am前、歯磨き。