ある卵巣がん患者配偶者の記録

2015年1月から9月までの戦いの日々

造影CTの結果、大泣き。愛犬との再会。

造影CT検査の日。

7am、病院のパン屋がオープンしてないので、商店街のパン屋さんへ買い出しに。道中をFaceTimeで中継する。

朝食は、柔らかいパン半分、パインデニッシュひとかじり、サンドイッチ一切れ。カロリーメイト缶1本。

9:30am、採血。

11am、スケジュール繰り上げで造影CTへ。

すべて昼前に終わったので、弁当を買いに三越へ。まだ梅雨が明けておらず、雨が降り出しそうなのでチャリを飛ばしていく。

昼食は三越の地下へ行き、RF1の弁当とコロッケ、おにぎり弁当、ミックスジュース。

昼過ぎ、母が弁当類とアメリカの友人Jからの郵便物を持ってきてくれる。

3pm、理学療法士T先生のリハビリ。

3:30pm、作業療法士M先生のリハビリ。

4pm、H先生からCTの結果説明へ。

リンパ節の病変は少しづつ縮小しているが、肝臓と肺の転移巣が大きくなっていることがわかり、車椅子で同席した妻がショックを受けてしまう。明日の抗がん剤で、CIPN(抗がん剤性抹消神経痛)対策のため弾性ストッキングの着用と、投与中に手をアイスで冷やすこと、サプリメントなどの使用許可をいただく。また、転移巣のことについて議論し、国立がん研究センターセカンドオピニオンを受けたい旨を伝え、快諾していただく。また、新たに朝晩のメイラックス抗不安薬として処方に追加。

妻が病室に戻ってから泣いてしまい、とてもつらい思いをする。

「今回のサイクルはしんどかったから、もっと良くなってると思ったのに、(以前には知らされてなかった)肺の転移まで出てくるなんて思ってなかった」という。

そして、突然、愛犬に会いたいと言い出し、家に電話して急遽、両親に連れてきてもらうことに。

母が夕食の準備にとりかかっていたので、その間に自分は銭湯に行ってくる。6pm過ぎに病室に戻り、夕食はしじみの味噌汁とピーマンの肉詰めなど。しっかり食べた後、母から到着したと電話がかかってきたので、愛犬に会うため車椅子に乗って病院の正面玄関へ。

愛犬との久々の対面。7月9日の愛犬の誕生日には骨髄抑制期で、自宅と病院をつないだFaceTime越しに姿を見ただけだった。車椅子の上で妻の膝の上に乗って喜びはしゃぐ愛犬。妻は、両親に「わがまま言ってごめんね」と涙を流しながら今日のCT結果が喜べない内容だったことを説明する。しかし、あくまでも笑顔ではげます両親。胸が締め付けられる。

愛犬が元気になってからもチェックアップで動物病院に連れて行ってくれ、リパーゼやCRPの数値が正常化しているのを確認、白血球だけがわずかに基準値を上回っていた。獣医の診断によると、リパーゼだけでは膵炎との診断はつかず、むしろ胃腸障害だったのではないかということらしい。いずれにせよ、愛犬はとても元気になっていた。

愛犬にたっぷり元気をもらい、愛犬が外の暑さで口が開いて呼吸が荒くなり始めたので散会。暑さが苦手なのだ。

残りの夕食をかきこんで、弁当箱を洗い、7:30pmから仕事のミーティングのため談話室のフォンブースへ。

9pmに病室に戻ってきてからは、動画なども見ず、ただベッドで一緒に横になり、腕をさすったりして、うとうとと眠りにつく。妻の不安を少しでもやわらげたくて、少しでも長くベッドで一緒にいようと思っていると、そのまま眠ってしまったらしく、0amに目が覚める。看護師はそっとしておいてくれたようで、離床センサーはいつの間にかオンになっていた。

その頃には外の気温もだいぶ下がっていたので、冷房を止めて寝ることにするが、結局寝付くことができず。

2amの定時巡回のとき、ナースIさんがそっと入ってきたことに妻が気付き、トイレの介助お願いします、という。汗をぐっしょりかいていたので新しい病衣を出してもらい、タンクトップも着替える。

2:30am、ふたたび妻がナースを呼び止め、デジレルを出してもらう。

私は起きていたのではっきり見ていたが、二回ともナースコールせずにナースが部屋に入ってきたのに妻が気づいて直接呼び止めていた。妻も眠れない夜を過ごしたのだろう。

その後は、6amまで眠っていたらしい。