ある卵巣がん患者配偶者の記録

2015年1月から9月までの戦いの日々

術後2日目

この日から、徐々に回復をみせるようになる。

朝食の五分粥を少し食べ、食後のヘパリン皮下注射。これは毎日朝晩するのだが、すごく痛いらしい。

この日から体を起こして立ち上がる練習をはじめた。

この頃には、いかにイレウス(腸閉塞)が怖いか、ということを聞かせていたので、妻は痛いのも嫌だが将来にもっと痛い思いをするのも嫌だということで、がんばって動こうとするようになった。

とはいえ、数歩あるくのも何分もかかり、まだ病室から外に出ることもできない。

口に入れやすいものを、ということで、下の売店からゼリー飲料やりんごジュースを買ってきて冷蔵庫にストックしておいた。

熱も下がってきて、少し顔色がよくなってきたので、義母と両親も安心した様子だった。

「安心したわー。日にち薬やなー」

私はずっと病院に泊まり込んでいたので、朝になると両親がやってきて、洗濯した私の着替えを持ってきてくれた。そして義母が泊まっている徒歩すぐのホテルへ昼過ぎに行ってシャワーを浴び、仮眠をとって夕方には病院へ戻ってくる、というサイクルだった。

昼過ぎには尿管が抜け、自力でトイレに行かざるをえなくなった。

腹部に聴診器をあててもらったとき、あまり動けてないのと食欲もないので

「腸の動きが弱いですねー。ガスでましたか?」

と毎回言われる。

昔は入院したら何日もかけて安静にさせられるものだったように思うのだが、それでは腸閉塞など合併症のリスクが高くなるのでかえって良くない。そのため、現代では術後すぐにどんどん動けと言われる。本人が大変苦しそうにしているので、大変むごいようにも思えるが、そのほうが結果的に回復を早めてくれるので良いという。

医療費がバカ高いアメリカでは、たいていの手術では入院は一日だけであとはすぐに追い返されてしまうが、だんだん日本もそういう流れになっていくのかも知れない。