ある卵巣がん患者配偶者の記録

2015年1月から9月までの戦いの日々

「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」高山知朗

治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ

治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ

表題の本を読了。今回はそのレビューを兼ねて、約一年ぶりの投稿です。

がんを告知された患者がまず最初にとる行動といえば、病気や健康に関連する一般向けの本を読んだり、いわゆる「闘病記」カテゴリーのブログを読んだりといったことでしょう。

とくにそれまで健康だった人間は、いきなり医学用語を多用した「ムズカシイ」文献を読みこなせるわけもなく、もっとやさしい入り口を探すことになります。

多くの場合、病気のことを打ち明けて詳しく相談できるような医学の心得のある人は身近にはおらず、テレビや週刊誌で聞きかじった玉石混交の情報をあれこれインプットしてくる親族に耳を傾けたり、同じような境遇の人が書いた「闘病記」を読みふけったり、重すぎる現実を受け入れられないがために自分にとって都合の良いことが書かれている、医学的な正確性には重きを置いてない本へと流されていきます。

たとえば「食事療法だけでガンが消える」や、「ガンの放置療法」などのキャッチフレーズは、手術・抗がん剤放射線といった怖い治療を受けたくないと心のどこかで思っている患者心理にはとても魅力的に響きます。

妻の卵巣がん告知を受けたとき、私たちが最初にとった行動もそうでした。

今では自分がこんなことを口走ったことが信じられないという思いで後悔していますが、告知の翌日に集まった両家の家族に向かって私が言ったことといえば、「抗がん剤は病気を治せないただの毒だから、やらないほうがいいんじゃないか」というようなことでした。その前夜、妻自身とよく話し合った結果とはいえ、なんと無責任で浅はかな発言だったことでしょう。

正しい情報を持たない人間が、抗がん剤のイメージがもつ恐怖感に流されると、あっという間にこのような見当違いの結論を導き出してしまいます。(ヒント:病気を「根治する」ことだけが医学的介入の意義ではない、ということに、だいぶ後になってから気づきました)

でも、最初から正しい判断を下せる人間はいません。

その日から、私たちの情報戦が始まったのです。

科学的思考に慣れている私が、日本婦人科腫瘍学会の標準治療ガイドラインを(最終的には英語文献から引用されたデータの誤植を学会に指摘して修正してもらうというレベルに到達するまで)隅々まで読み込めるように、急いで医学的知識を詰め込んでいく傍らで、妻はひたすら自分と近い年齢、近い境遇の同病人が書いている闘病記ブログを探しては読んでいました。

妻にとっては、情報を集めているというよりも、病気のことを相談できる友人がいない状況のなかで、慰めを求めているという感じでした。それはそれで、ガンという孤独な病気と戦うための、心の支えとなる非常に重要な要素ではあります。

医学の下地となる知識がなかった当時の私には、ガイドラインフローチャートは頭に叩き込めても、どうしても言葉の背景にある概念まで掘り下げては理解できず、このサブタイプ診断がついたら次の選択肢はこちら、と記号として処理せざるを得ないことが多くありました。精神的な動揺を別にしても、決定的に時間が足りなかったのです。

とはいえ、治療は待ったなしで、どんどん重大な意思決定を迫られるポイントがやってきます。

最初のポイントは、手術。開腹手術か、内視鏡手術か、手術支援ロボットは使えるのか。縦に切るのか横に切るのか。限られた時間のなかで後悔しない最善の選択をするためには、まずはその目の前のポイントに集中して情報を集め、メリットとデメリットを検討し、将来の選択肢を減らさないオプションを選ぶ必要があります。正式な面会日を待たず、担当医にもどんどん質問をぶつけます。

ところが、何度もそういった意思決定のポイントを通過して知識を積み上げていくにつれ、医師が薦めてくる標準治療というのは「統計的に見て(注:つまり患者個々の事情は丸められているという点には留意したい)もっとも治療効果と忍容性のバランスが取れたオプションである」ということを追認しているだけ、という作業の繰り返しになっていることに気が付きます。

医学的に「枯れた」エビデンスがあり、なるべく医師の技量に頼らず安定的に結果の出せる治療を標準ガイドラインとして採用しているわけなので、そもそも当たり前なのですが、そんなこと駆け出しの患者は知るよしもありません。

こうして、標準治療への信頼を確立するまでが患者力の第一のステップ。

次に、標準治療に身を任せるようになると、だんだん患者として何もすることがない時間が増えてきます。そうすると、この時間を使って標準治療以上の結果を出せるよう何かやってみよう、何かせずにはいられない、と考えるようになります。

実は、真の患者力を試されるのはこの第二のステップにあると思います。

ここで、王道の医学的知識を深めたり、効果の証明されていない健康食品や特殊な治療法に飛びついたり、厳密な玄米菜食に固執するようになったり、いろいろな道がでてきます。

実は私たちも、健康食品・玄米菜食・鍼灸など、巷で言われている民間療法は色々とやってみました。これらのなかには、「何かをやっている」という自己満足が重要な要素であることも結構あります。だからこれらを一概に否定はしません。

「お金をかけすぎない」「(特に食事療法など)厳密に実行することでかえってストレスを溜めてはいけない」という点にさえ気をつけさえすれば、いろいろとやってみるのも良いと思います。

私たちの場合には当時まだ未知数の薬であった、抗PD-1抗体オプジーボをスイスから個人輸入して投与するという、1回あたり50-70万円ぐらいする薬に賭けていたので、「お金をかけすぎない」という点では説得力がありませんが、全く後悔はしていません。要するに、過剰な期待を持たず現実を冷静に踏まえて判断し、どのような結果になっても悔いを残さないということが大事なのだと思います。

悔いを残さないという意味では、標準治療を拒否しておきながら、望んだ結果が得られなかった場合の後悔というのは計り知れないものでしょう。標準治療ではなく別の道を行くというのは、「私のケースは標準治療にあてはまらない」という相当の知識に裏打ちされた確信と勇気が求められます。宝くじを買っておきながら、当たらなかったことに文句をいうようなメンタリティで選択してはいけないのです。

さて、ここまで長々と書いてきて、やはりこの高山さんの書かれた本にはかなわないなぁと改めて思いました。

この本には、がん患者の「患者力」を高めるために知っておくべき内容が、必要十分な濃さで簡潔にまとめられています。

私自身もこれまで大量のがん関連本、闘病記などを読んできましたが、本書ほど内容に偏りがなく、実践的で、変な誇張や強調もなく、感傷的な内容で埋め尽くすこともなく、また難しすぎることもないというバランスで、一方で病気の告知から寛解その後まで、それぞれの段階で心得として知っておくべき内容が患者の目線で網羅的に書かれた本にはお目にかかったことがありませんでした。

「がん告知されたばかりの患者さん」が最初に読む本として一番ふさわしい、著者の人柄のあたたかさが感じられる内容となっています。

おすすめです。

治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ

治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ

p.s.

当時の記録、半年あたり1ヶ月分ぐらいのペースでしか更新できてませんが、6月〜9月の分も、これから頑張って完成させます。気長にお待ち下さい。