ある卵巣がん患者配偶者の記録

2015年1月から9月までの戦いの日々

真夜中のインシデント

夜中は大の便意があったため1時間おきにトイレ。3am頃、ふたたび意識を失って倒れそうになる。

真夜中にインシデントが起きてバタバタするのはおちおち眠ることもできず、結構つらい。

だが、一番つらいのは妻自身なのだし、それを24時間支えると決めたのは自分なのだ。暗くて静かな消灯後の病院は、孤独感がより一層強まる。妻には、夜中にふと目が覚めても夫がすぐそばにいるという安心感を持ってもらいたい。ただそこにいる、というだけでも意味があるのだと思いたい。

毎朝決まって6amの体温と血圧チェック、それに採血。

体温37.2、血圧91/42。

血液の値もほぼ変動なし。ヘモグロビン6000台、好中球も4000近くある。まだ骨髄抑制は起きてない。

朝食は昨日パン屋で買ってきたキャラメルブリオーシュと売店の(マヨネーズ味のないタカキベーカリーの)サンドイッチ。妻もようやく少しづつ食べられるようになってきているが、食べられるものは限定されるので細かく指示をもらって買ってくる。

脱毛チェックのため後頭部を撮影。

口内炎も始まってきているが、頻繁なうがい、歯磨き、イソジン消毒で悪化の予防につとめる。抗がん剤による口腔粘膜の新陳代謝が障害されていることの両方で起きている口内炎なので、回復を待つ以外の対策がない。その間、落ちた免疫力で感染しないように、とにかく清潔を維持する。

Crunchyrollで「黒子のバスケ」をみる。自分たちの世代では誰もが知る「スラムダンク」すら見たことがないという妻だが、古い作品よりは現代的な作品のほうが面白いだろうということで何話かみてみることに。そういえば、同世代ならたいてい観ていたであろう「YAWARA!」も、妻は観たことがないということをいつも言っていた。浦沢直樹の作品では「MASTERキートン」や「MONSTER」は一緒に観たのだが、全般的に辛口の妻のメガネにもこの2作品は合格したようだった。

昼食は母が持ってきてくれた弁当としじみ汁。

夕食は父に頼んで買ってきてもらったCoCo壱番屋の野菜カレー+フライドチキン。妻は1/4ぐらい食べた。

ふたたびCrunchyrollで「暁のヨナ」。

10:30pm就寝。

シェイク一気飲み

室内もずいぶん暑くなってきて、夏の気配を感じる。

朝は売店でカレーパンを買ってきたが、妻はゼリーしか食べられない。

ひたすらAmazonKindleのマンガ本を大量に買う。病室で妻が寝ているとき、医学論文ばかり読んで疲れたとき、横になってiPadで漫画を読むのが自分自身にとって大切な息抜きのルーチンだ。でも、情緒的に脆くなっているので、内容に過剰反応して感情が大きく揺れ動いてしまうこともある。それでも、いまの自分の心境を代弁してくれるような内容の作品をつい探してしまう。人間の心は複雑だ。

実家には、いよいよ引っ越しでアメリカから送っていた船便の荷物が届いたようだ。

昼はほっかほっか亭でスタミナ丼を買ってくる。京都の学生時代から存在した、懐かしのメニューだ。

3pmに母が迎えに来て、Book Offと図書館を経由して帰宅する。妻の大好きな「風の谷のナウシカ」のワイド版全7巻を探したが、見つからない。映画のその後のストーリーがあるんだよ、という話をしていて、読ませてあげたかったのだが。。。

帰宅すると、届いた引っ越し荷物の開梱はそこそこに、とりあえずiMacだけセットアップして回線につなぎ、シャワーを浴びてふたたび病院へ。

ユニクロで病室で過ごしやすい短パンを買い、その近くの中華屋で母と担々麺を食べている最中に妻から電話があり、「マクドのバニラシェイクが飲みたい(関西弁なので、マックではなくマクド)」という。妻から何かを欲しいというリクエストをもらうと、小躍りしたくなるほど嬉しくなる。

明日の朝用のパンを買い、言われたとおりにマクドでシェイクMサイズを買い、病室に戻ると7:30pm。妻はシェイクをごくごくと2/3ぐらい飲んだ。その姿をみて嬉しさがこみ上げてくる。

9pm、トイレに行くとき、ナースから「旦那さんヘルプ!」と呼ばれ。みると妻が倒れかかっている。急いで駆けつけると、完全に腰が抜けてしまっており、全体重がかかっている。二人がかりで抱えてベッドまで戻り、休憩する。貧血のようだが、本人は、その瞬間のことを覚えていないようだ。血圧は正常だったが、もしかしたらシェイクの一気のみで冷えたのが良くなかったのかもしれない。

しかし、やはりトイレ(大のほう)には行きたいようで、ふたたびチャレンジする。今度は意識もしっかりしている様子。

3日目、体調すぐれず

6amに採血。

夜中にも1時間おきにトイレに行ってたらしい。尿量はだんだん落ち着いてきたようだ。

吐き気はだいぶ収まっている様子。

朝からラスベガスのドクターWのオフィスやAnthemなどに電話、保険のステータスを確認する。アメリカ西海岸の時間にあわせて、何度も何度も保険の適応について電話するが、連絡がつかなかったり、たらい回しにされるばかりでらちがあかない。

体温36.6、血圧104/61で正常。

朝、食堂のベーカリーでクリームパンとごまチーズチキンパン、コーヒーを買ってくる。妻はクリームパンを半分たべた。

便秘対策の新薬、アミティーザも常用開始。

談話室で仕事をしている間、作業療法士のMさんがきてリハビリ。

お昼は食欲が無いというので一人で食堂へ。

4pm、体温は36.9度。体重は43kg。先週から3kg減り、ほぼ入院時の体重に戻った。何の根拠もないことだが、減ったのは主に腫瘍の重量だと考えることにした。そう話すことで、妻もこの変化をポジティブなものとして受け止めるようになったような気がする。

5pm、若い薬剤師のHさんがきて吐き気について相談するが、やはりステロイドプリンペランでという話に。理学療法士のTさんもきてくれたが、今日は体調が悪いのでスキップすることに。

からまった髪を切る

夜中に数回トイレに行き、下痢便は少し出たが尿測できず。

やはり吐き気があり食欲はないので朝食スキップ。しかしポカリスエットだけは毎日飲んでいるので切らさないように常備する。

朝の薬は、デカドロン4錠、ナゼア、セレコックス、ムコスタ

体温は37度ちょっとだが、血圧は78/44でかなり低い。

しかし吐き気は少しマシになってきた様子。左鎖骨リンパの腫瘍も、さらに小さくなっているように見える。

お昼はパン屋からカスタードブリオーシュとアップルパイ、売店からカレーライスを買ってきた。妻はカスタードブリオーシュを半分と、カレーライスを少し食べた。3剤投与の翌日にしては食欲も良好。

昼過ぎ、車椅子を出して病院内を一緒に散歩。1階と2階をぐるっと一周してみる。売店でフロレスタのドーナツと湖池屋の頑固あげポテト、コーヒーを買ってきて、5階の談話室でゆっくり食べる。このひとときが人生でもっとも貴重な時間に感じられる。

病室に戻ると、緩和ケア科のN先生がきて、痛み止めを1.3から毎日0.1づつ下げていくと説明。

その後、髪を洗うためシャワー室へ。入れ違いで母がきた。

シャワーから戻った妻の髪がからまっていたので、妻のリクエストで、母と二人でハサミでチョキチョキ切りながら、ガムテープでペタペタととっていく。

結果、とうとう頭髪が薄くなってしまったので、ケア帽子をかぶるようになる。

3pm、2度目のデカドロン4錠。朝晩8am/3pmのサイクルで3日間続くことになる。

VAC療法C2D1

抗がん剤の2コース目。

熱は37.5度ぐらいに下がっていた。

今回は朝から抗がん剤の投与を始めることに。

売店がオープンする7amにあわせて車椅子を出して一緒に売店へ行き、サンドイッチとコーヒーを買ってきて、冷蔵庫に残っていた飲むヨーグルトと、妻の大好きなクラブハリエのバウムクーヘンを談話室で食べる。

8am過ぎから輸液開始。500mLを2時間で落とす。

10:30am過ぎから制吐剤のアロキシ&デカドロン滴下。

11:00am過ぎに母が妻のリクエストであった王将の焼きそば、焼き飯、餃子を持ってきてくれる。

オンコビンを滴下しながら食事。しかし、あまりおいしく感じないようだ。

12pm過ぎからコスメゲン滴下。

1:30pm前にメスナ静注、エンドキサン滴下開始。

2:30pm、本日の抗がん剤フルコース滴下完了。これから4時間後、8時間後にメスナを投入して出血性膀胱炎を予防する。

4:30pmにH先生が来られて今後の計画について改めて説明。抗がん剤以外の投薬を経口に切り替えていき、リハビリでしっかり歩けるようにし、3コース目までには10日入院と10日在宅を繰り返すという感じに切り替えていく目標でいきましょうと。

この計画を聞かされて、どれほど心強かったことか。

これから、良くなっていくんだ。

不安と希望がないまぜになりながらも、希望がわずかに勝つ。このわずかな差が、決定的な意味を持つのだ。

岡山大学で病理の再検証の結果、診断が癌肉腫へ

夜中、30分から1時間おきにトイレに行く。しかし、点滴はもう1本なのでそれほど尿量があるわけではない。

6amに採血。

昨日に引き続き、血圧は96/48ぐらいと低い。

脱毛も進行し、後頭部の地肌がはっきり見えるようになった。いよいよ外出時には帽子をかぶることになりそうだ。

10:30amに作業療法士のMさんが訪問。昨日からきてくれているらしい。

その直後にH先生がきて採血の結果と昨日のCTについて説明。首の腫瘍は小さくなっているが腹部の腫瘍は現状維持であること、あれだけ急速に大きくなった腫瘍が1コース目で現状維持できてるということは、効果としては十分とのこと。肝臓の転移巣も分子標的薬を使ったかのようなLowな造影効果がみられ=血流が止まっており?治療の効果が出ていることは間違いないらしい。

その後、H先生と二人で相談室へ。初回手術における病理の再検証が行われて、岡山大学にもセカンドオピニオンを出した結果、最終診断が未熟奇形腫から癌肉腫へと変更になったと説明。脂肪肉腫や明細胞腺癌などの成分もあったようだ。また、この時点では明確な横紋筋への分化は見られず、骨格筋への分化能をもつ、一段階手前の細胞が観測されたようだ。

好中球は5000以上と良好だが、血小板が60万と高すぎる数値になっている。血小板は転移先の臓器への細胞接着を促進したり、血流内で腫瘍細胞の周囲を固めて免疫細胞の攻撃や血流による物理的ストレスから保護することで、がんの転移を促進したりするらしく、注意が必要とのこと。

昼食は車椅子を出して売店へ行き、天津飯とチキンマサラピラフを買ってきて談話室で一緒に食べる。

午後、熱が38度に達したので、今日からCOX2阻害剤のセレコックスと胃腸薬のムコスタを飲むことに。

3pmに母が迎えに来て、シャワーを浴びに帰宅。

6pm頃に病室に戻ってきて、父と母の合作となる弁当を食べる。しじみの味噌汁もたっぷり。食後にはうしおじさんのシュークリームも。

7pmから私の仕事のSkypeミーティングのためフォンブースへ。長く居座っていると、8:30pm頃、ナースから公衆電話を使いたい人がいると注意され、あわてて出る。

10:30pm頃まで、妻と話し合う。父親が、ぼくが3歳の頃に踏切の前で声をあげたことがきっかけで列車事故にあわなくてすんだエピソードを思い出し、あのことがあるからお前がいればIちゃんも大丈夫と根拠のない自信があるんだ、という話をしてくれたことなどを話した。

東京出張、CT検査

夜中に何度も何度も、1時間おきにトイレに行ってるのがわかる。

5:45amに起きて出張準備。6:30amに父の送迎で高松空港へ。

東京では、日本橋三越に行って妻の好きなクラブハリエのバウムクーヘンをお土産に買ってくる。

6:45pm高松着、父の送迎で空港から急ぎ、なか卯で親子丼を買って7:30pmに病室へ。

今日は造影CT検査のため絶飲食だったので、3:30pm前には母が持ってきた水神市場のお弁当を食べたらしい。

血圧は90/50ぐらいと低め。

オキファストを1.2->1.3に増量。

CTの結果、首の腫瘍は小さくなっていたが、腹部の腫瘍はあまり小さくなっていないらしい。

この結果を聞いて、急遽、病理セカンドオピニオンや骨盤内灌流化学療法など他のオプションについて真剣に検討をはじめることにする。