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ある卵巣がん患者配偶者の記録

2015年1月から9月までの戦いの日々

CVポート設置手術

右鎖骨下の皮下に点滴を刺すためのCVポートを準備するために小手術が予定されていたが、6am頃に水をほしがったのでついあげてしまう。

毎朝、いつも妻がベッド上で苦しんでいる身じろぎの音で目が覚めるのがつらい。寝不足も蓄積してきている。

病室の入り口にはNPO after midnightと書かれていて、意味を聞いたら「深夜以降は絶飲食」という意味らしい。NPOというのはNil per osというラテン語の略語らしい。

7:30am頃に病理部から若い女医Julieがスライドのピックアップにきた。

黙って現物を渡すだけでもよかったのだが、事前情報を伝えておきたいと思い、その場で病理レポートのファイルを開き、日本語の読めない彼女のために解説をしていく。まず、これは1月の初回手術時に切除した左卵巣の組織であること。endometrioid adenocarcinoma(類内膜腺癌)とimmature teratoma(未熟奇形腫)の併発というレアなhistology(組織型)で、かつ奇形腫の顕微鏡像においてneural component(神経成分)は明らかでないためlower grade(低悪性度)と診断されていること。Immunohistochemistry(免疫染色)を多く追加していったので、全体として診断がつくまでにかなり長い時間がかかったこと、などなど。ひととおり説明しおわると、"Wow, you're so knowledgeable!" (あなた詳しいわね!)と驚かれた。最近では妻の病気のことについて毎日ドクターと話しているので、難しい医学用語にも慣れてきて噛まずに発音できるようになっていたのだった。

スライドを渡した後、ついでに日本で受診したCTやPETの画像をDICOM形式で収めたDVDも渡せばよかったと追いかけたが間に合わず。。。ナースに電話してもらい、必要ならいつでも渡せると伝えてもらった。

そのあと、ナースがやってきて、「病理部の人を実際にみたの、私はじめて!」とやや興奮気味に話してきた。たしかに、病理部のドクターというのはラボにこもって顕微鏡の中をのぞくのが仕事だし、研究者肌の人が多いので、臨床現場である病棟でお目にかかることはまずないのだろう。この一件があってから、私達のケースというのはこの病院のなかでも何か特別なものなのだ、という認識をナースたちはもったらしく、なんとなく扱いが丁寧になった気がする。

一息ついてから、母とつなぎっぱなしのビデオチャット越しに話しかけ、滞在の延長を打診する。当初は4/29に帰る予定だったが、これを一週間のばして5/6あたりに変更することに。

さっそく、ユナイテッド航空に電話して母の復路便の変更について問い合わせてみるが、すごく感じの悪い相手にあたってしまい、あなたのチケットは変更できないタイプだから一切変更できません、といらだった声でめんどくさそうに言い放つ。病気の事情を説明しても全く無関心。今これ以上この問題に時間とエネルギーを費やすのは得策ではないと判断し、いったん棚上げ。最悪、no showで復路のチケットを捨てて、改めて片道で買い直す方向で。

9am頃に朝食を取りに行ってる間に、ナースが来て、痛み止めの静注に加えて、少しならということで水と痛み止めのピルを服用したらしい。これでまた手術がのびたのではないか?9:30amに戻ってくるときにケースマネージャとすれ違い、痛みが続いていることを訴えるとドクターと相談してみると約束してもらう。妻に確認すると、ケースマネージャは来たが意識が朦朧としててほとんど話せる状態ではなかったという。

11am頃にCVポート設置のためアシスタントが車いすをもって来たが、9am頃に水を飲んだことを伝えるとアシスタントが帰ってしまい、別の手術に先をこされてしまった。待機時間延長。

母にお願いして、配達されたApple Watchを受け取りにコンドミニアムの一階に行って担当Jasonから荷物を受け取ってきてもらう。毎朝、コーヒーも取りに行ってるし、これで我が家のお使いはひととおりできるようになった。あとは妻が使ってほしいと言っているスポーツウェアを着てジムに行けるようになれば完璧。

1pmにようやく手術のアシスタントが車椅子を押して再ピックアップにきてくれる。

急いで手術室についていく。入れ違いで友人Tさんと母が着きそうだ。

手術室に入っていくと、設置するポートについての説明を受ける。チタニウム製だからこれをつけたまま飛行機に乗れるのか、オープンエンド型か、耐用期間はどのぐらいか、など事前に用意していた質問をしたのち、同意書にサインして室外へ。日本に帰って治療を継続するときにも仕様がわかるように、説明書を持たせてくれた。

手術室を出ると同時に保険会社のケースマネージャから電話がかかってきて、ドクターと退院計画について話し合ったか聞かれる。ここみたいな大病院ではなく個人クリニックで治療を継続することや、palliative care(緩和ケア)についても提案される。保険会社としては、こうやって説得して少しでも支出を抑えたいということだろう。しかし、痛みのコントロールに追われてとても退院どころではないことを伝える。

その電話が終わるか終わらないかのうちに、手術のアシスタントが近づいてきて、執刀医が緊急で呼び出しを受けて別の病院へ行かなければならなくなったと伝えてきた。戻ってくるまで妻は待機だという。手術自体は30分で終わるものなのに、待たされてばかり。

今のうちに、ということでランチを買いにカフェテリアへ。選ぶのが面倒なのでボリュームのあるPhilly Cheeseを注文する。

病室に戻ると、日系人(だが日本語は話せない)で4階北病棟ナースリーダーのSusieが現れて、「何かヘルプできることない?」と聞いてきてくれる。いろいろ話しているうちにだんだん落ち込んでいく姿をみてか、「Can I give you a hug?」といわれ、ハグする。と同時に感情が押し寄せてきて涙が止まらなくなってしまった。

つらくても腹が減っては妻の役に立てない。むりやりPhilly Cheeseを口に詰め込む。

ところでこの病院、ナースの水準は高いかもしれない。これまでのアメリカでの病院めぐりの経験から、もっと事務的で冷たくていい加減な対応を受けるかもと構えていたけれど、実際には8割ぐらいのナースは日本の病院の看護師と遜色ないぐらい優しくて気配りのできる人たちだった。

Philly Cheeseを半分ぐらい食べたところで、妻がベッドに載せられて帰ってきた。思いのほか早く戻ってきてホッとしたが、そこからがまた大変だった。残りの半分は食べる時間もなくゴミ箱行きとなった。

まず、術後1時間は集中管理が必要とのことで、酸素が90を切らないように、血圧が100を切らないように、バイタルチェック。鼻にはまた人工呼吸器が設置されている。

口が渇くといえばうがい受けでうがいさせ、足の枕の位置がおかしいといえば動かし、靴下をはかせ、腹帯を締め直し、アイスチップスを口に入れる。

そうこうしてるうちに、友人Tさんと母が到着するが、まだまだバタバタしてるのでconsultation roomで待機してもらう。

そのうち意識がもどってくると、おしっこがしたいという。まだ立ち上がることはできないので、黒人ナースTashaに頼んでおまるのようなちりとりのような、ベッド上でお尻の下にしいて尿を受ける器具を、給水シーツをベッドに敷いて、さらに上と下からサンドイッチにして漏れないようにしてから放尿。

そのすぐあと、ドクターWがやってくる。いろいろ質問していると、たまたまドクターCもやってきて、病理の中間報告である胚細胞腫瘍であろうとの見解についてのディスカッション。同時に議論に参加する。一致している見解は、アグレッシブな腫瘍には抗がん剤が効きやすいはずだ、ということ。ドクターWにいろいろ質問するなかで、抗がん剤がはじまってもdrug holidayに日本へ帰れるか?との質問には、1クールで2週間やったら日本に帰れるようにしましょう、という答えをもらう。

ディスカッションが終わって二人のドクターが去ったあと、妻には「ずっと寝てていいからね」と伝え、ようやくTさんと母を病室に招く。

Tさんは、雑誌とマンガと形状記憶枕をもってきてくれた。色々と気を使ってくれて、本当にありがたい。

妻の様子をそっとみてもらってから、しばらく雑談をしてから見送る。これでTさんと母がつながったので、お願いごとを頼みやすくなった。このあと二人は、Suzuyaという日本人が経営しているケーキ屋へ行き、一緒にクレープを食べたらしい。

病室にもどると、妻がふたたび尿意をうったえるので、二度目の尿受け。

夕食は、昨日の残り物のおにぎりとサンマ。しかし妻は食べられない。

ところで、この病院だけなのかアメリカの病院はどこでもそうなのかわからないが、病室に冷蔵庫がない。なので食べ物や飲み物を持ってきてストックしておくのが難しい。結局、私たちの場合は保冷式の大きなエコバッグにアイスパックを詰めたものを冷蔵庫代わりに使っていた。

バタバタで夜が更け、母が持ってきてくれたApple Watchをようやく開封。まったく感動も喜びもないが、写真をTwitterに投稿する。再発で入院していることについては、カリフォルニア時代の友人たちにはほとんど誰にも話していない。なんとなく、病室からの写真を投稿することで、わかるひとにはわかる形で近況を知らせたいという意図もあった。

この頃には痛み止めの注射を3時間おきに1.5出してもらえるようになっていたが、これを打つと妻が白目をむいて様子がおかしくなるので、頻度は3時間おきのまま、一回あたりの量を全部使わずに1.0に減らしてもらった。

夜中の1amにも目が覚めて一騒動。右手の点滴のアクセスが使えなくなり、痛み止めの注射が通らなくなり、痛がるように。

そこで、夜勤のナース二人(一人は新人)が急遽、ポートを使ってアクセスの確保に。専用のマスクとゴム手袋を着用し、念入りにポートの上の皮膚を殺菌。その上から10円玉サイズの円盤のようなものをポートのシリコンに差し込み、点滴のルートを確保。その上からシールを貼って保護。以後、採血も点滴もここから行うことになる。