ある卵巣がん患者配偶者の記録

2015年1月から9月までの戦いの日々

やっと病理レポートが届き、確定診断

4amに起きてMountain View HospitalのMedical Record部に電話する。アメリカ西海岸時間で正午過ぎ。

改めて、昨日送ってもらったレポートにはUCSFからの病理レポートが含まれてなかったことを指摘すると、コンピュータのトラブルだったという。ではいつ修正版を送れるのかと聞いてもわからないという。

連日のトラブルでイライラが頂点に達しつつあったが、我慢して同病院の病理ラボに電話。窓口のJudyもその問題が起きていることは認識していた。ラボから直接Faxしてくれないかと頼み込むが、これはレギュレーションの問題なのでルールを破ると私はクビになる、といわれてしまう。

しかし、とJudyは一考したのち、手術を担当したクリニックであれば、この病院のプロトコルに従う必要がないし、ラボからクリニックにFaxすることは可能なので、そこから再転送してもらうのはどうか、と提案してくれる。二つ返事ですぐに了解し、ドクターCのクリニックに電話をかけ、今からラボが病理レポートをそちらにFaxするから、それをこちらに転送して欲しいと伝える。

日本とアメリカという離れた場所でやりとりをする手段が電話とFaxしかないという困難な状況だったので、このためだけにHelloFaxというオンラインFaxサービスに加入してラスベガスのエリアコードでFax番号を取得していた。この番号あてにFaxが届けば、即座にPDFファイルの添付で私のメールアドレスに転送されてくる。ちなみに国際電話にはSkypeを使っている。

約1時間後、HelloFaxから通知が届き、急いで内容を読む。

詳しい内容については後述するが、最終診断は「rhabdomyosarcoma = 横紋筋肉腫」。

そして、続けて「The prognosis is poor.」(予後不良、生存の確率は低いという意味)の一文を見つけ、視線がそこから動かせなくなる。何度も何度も読む。

もう何度目かわからないが、血の気が引き、体温が一気に下がり、全身を猛烈な震えが襲う。

ガタガタと歯の根が咬み合わなくなりながら、ノートパソコンの画面の向こうで眠っている妻の姿を見る。ようやく痛みもコントロールできるようになり、決してぐっすり眠れることはないけれども穏やかな寝顔だ。

このまま、妻は死んでしまうのか。

こんなに穏やかで、天使のように優しい妻が死なねばならないのか。

この底なしの恐怖にもだえながら、この病理レポートの結果をどう妻に説明しようかと考える。一ヶ月前に二度目の手術をしてから、この病理レポートが届かないと次の治療方針も決まらないということで、ずっと待っていたのだ。黙っているわけにはいかない。

しかし、隠し事なくやってきた夫婦とはいえ、この内容をそのまま伝えることはできない。近いうちに何らかの形で伝える必要があるだろう。考えろ。考えろ。

この病理レポートでは、胚細胞腫瘍のケモをやるか横紋筋肉腫のケモをやるか難しいが、どちらかというと横紋筋肉腫の標準治療にのっとって行うのが望ましいだろうという結論になっており、急いでrhabdomyosarcomaの治療法を検索する。どうやらrhabdomyosarcomaというのは小児がんの扱いとなっていて、アメリカでも日本でも標準治療は昔からあるVAC療法となっているらしい。しかも、婦人科でよくある6クール前後の治療期間ではなく、桁違いに長い14クールとなっている。また、早期発見でも必ずケモを行うという点も特徴的で、そのかわり早期の場合には完治する確率も高い。この矛盾するような特徴の意味するところが何なのか、この時点ではまだよくわからなかった。ただ、当然ながら完治する確率が高いという点はとくに目を引いた。

胚細胞腫瘍、上皮性腫瘍、悪性リンパ腫など、どのような診断がついても心の準備ができるようにと、あらかじめ調べ尽くしていたケモのレジメンと大きく違うことに戸惑いを覚えながらも、必死に新しい情報を頭に叩き込んでいく。

そうこうしているうちに、明け方がやってきた。

週末は1階の食堂が開いてないので、売店で地元「大山牧場うしおじさん」ブランドのロールケーキとコーヒーを買ってくる。妻はやはり食欲がなく、出された病院食を1割ぐらいしか食べられない。もう、ジュースを飲むのも気持ち悪くなるらしい。

10am前、食膳を下げにナースステーションを通りかかると、病理レポートを読んだ主治医のH先生からナースステーション前で呼び止められ、二人だけで相談室へ。

昨日の造影CTの結果も見せてもらいつつ説明を聞き、言葉を失う。主治医は、極めて厳しい状況です、と前置きしてから努めて淡々と説明した。

左鎖骨上のリンパの腫れが気道を圧迫している。腹部から骨盤部にかけての腫瘍が巨大化していて、大動脈・大静脈が押しつぶされて細くなってきている。必然、静脈還流が悪いので下肢のむくみも強くなる。また、腎臓から膀胱への尿管も圧迫されていて、これが閉塞すると危険なので月曜日に尿管ステント設置をするとのこと。同時に導尿バッグに戻して尿量も確保する。肝臓と肺にも転移がある。肝臓の腫瘍は自覚症状はほとんどないが胆管など詰まる場所によっては黄疸がでたり発熱、皮膚のかゆみがでたりするという。痛みを訴えていた右膝には異常はみられず、これはリンパ節腫大の圧迫による放散痛だろうとのこと。

この一連の話を聞いていて、生きた心地がしなかった。

CTに映っている腫瘍の巨大さは素人目にもわかった。そして最も恐れていた肝臓や肺への転移があるという。

このまま黙ってしまうと、病気に負けてしまう気がして、治療法、予後などについて聞いてみた。

この厳しい状況では、無治療なら1ヶ月、抗がん剤をやっても4ヶ月程度だろうとのこと。

UCSFから肉腫との最終診断がついたことで、治療のレジメンとしては婦人科領域で標準とされているGD療法がいいだろうと言われたが、自分の調べたところでは横紋筋肉腫といえばVAC療法が標準らしいですがどうでしょう、と聞いてみた。しかしH医師によると婦人科領域で肉腫の治療といえばエビデンスがあるのはGD療法だとのこと。

また、H医師の考えでは、CTや病理のことについては本人にはあえて詳しく説明せず、前向きに希望をもって治療に取り組めるようにしませんか、とのこと。病気に立ち向かう勇気をことごとく打ち砕かれるような一連の悪いニュースにすっかり力が抜けてしまったが、少しでも可能性があるならGD療法を試したいと思い、同意する。

すぐあとの11am頃、先生が病室に登場して今後のプランについて説明を開始、と同時に母がやってきたので談話室で待機してもらう。

先生から、診断結果は横紋筋肉腫というタイプであったこと、それからGD療法というゲムシタビン+ドセタキセルのレジメンで行うこと、そして月曜にはケモ開始に向けて尿管ステントを設置することが告げられる。治療に向かう意欲を失わせないよう、先生は決して暗い顔をせず、一緒に頑張ろうという雰囲気で話しかける。

妻は、おそるおそるH医師に「先生、そのGD療法はどのぐらい効くものですか?」と聞く。その質問にはH医師は「実績のある治療法ですから心配いらないですよ」とだけ答える。

その後、談話室で待っている母を呼びに行き、持ってきてもらった薄手のタオルケットを妻に着せる。

2pm頃、看護師さんたちに体を拭いてもらってる間に、以前から調べていた樹状細胞ワクチン療法のセレンクリニック神戸に電話してみる。まず、白血球の適応があるかどうかの検査のため、初診時に採血して1週間。その後、ワクチン製造に3週間で治療開始までに1ヶ月のリードタイム。その後、5-7回の注入を月2のペースで行うので、だいたい3-4ヶ月の治療となる。費用は、全体で180万円程度とのこと。

いずれにせよ、セレンクリニックに入院設備はないので、外来でここから神戸まで通えるだけの体力がなければ続けることができない。まずは抗がん剤治療で全身状態がよくなってからのオプションということになりそうだ。

妻は相変わらず吐き気を訴えていて、2時間おきにプリンペラン制吐剤の注射をするが、なかなか効かない様子。

3pm前、私も疲れきって昼寝してしまう。

4pm過ぎ、父がスイカなどフルーツをもって迎えに来てくれて目が覚めた。

家へ帰る車の中で、今日のCTや病理の結果について父と話をする。道が混んでいて、着くまでに1時間ぐらいかかった。

風呂に入り、夕食を食べる。盲目になった愛犬が、おそるおそる廊下を歩いて奥の部屋の近くまで行けるようになっていた。ちょっと見ないうちに少しづつ、変化がある。

外を見ると、庭のむこうが放棄された廃車で荒れ地になっていたのが、これから設置する太陽光パネルの準備ですっかり片付いていた。この景色を、また妻と歩けるときはくるのだろうか。うぐいすのなく透き通った声が響き渡る。

6:30pm、病院へ向けて出発。

7:30pm、欲しがっていたゼリー飲料を買って病室へ。

何度目かのプリンペラン静注をしつつ、しんどい、しんどい、を繰り返す妻。

しんどいのは、息が苦しいの?と聞くと、そう、息が苦しい、という。そこからは、何度も息が苦しい、と言い始め、酸素を計測してくださいという。しかし何度SpO2で測っても、96-97の正常値。しかし、トイレに行って戻ってくると心拍数は80-100まで上がるので、疲れているのは間違いない。

痛み止めの副作用で呼吸が浅くなってるから、肺が小さくなってるのかもね、と説明。トイレまで歩いて行くと疲れるみたいだから、室内のポータブルトイレでしていいんだよ、という。

10pm頃、明日も早く起きるの?ときいてくる。明日はもうアメリカに電話する用事はないよ、と答える。まるで、病理の結果が本当にきちんと出たのかを確認しているかのようだ。

10:30pm、ベッドで横になった妻の手をさすっていると、GD療法は効くの?どういう人に使うやつ?ときいてくる。答えに詰まる。妻は勘がいいから、H先生が抗がん剤のレジメンを変えると言った部分をちゃんと覚えているのだ。あえて詳しいことは言わないが、おそらく病理レポートの結果がよくなかったことを察している様子だ。

今でもしんどいのに、抗がん剤でもっとしんどくなるの?ときいてくる。胚細胞腫瘍のBEP療法ほどはしんどくないよ、と答えるが、苦しい回答だ。本人に選ばせてあげたいが、そのためには全てを話さないといけない。どこまでも迷う。

11pm過ぎ、久々の遅めの就寝。