ある卵巣がん患者配偶者の記録

2015年1月から9月までの戦いの日々

VAC療法C3D8は初のスキップ、目立つ不穏行動

夜間、7度ほど睡眠薬のフラッシュのため起きるが、それなりにぐっすり眠れたようだ。

8am、睡眠薬の持続をストップ。

9am、なかなかベッド上で屎尿瓶では排尿できず、午前シフトのナース5人がかりでポータブルトイレへの介助をしつつベッドのシーツ交換。

9:30am、昨日に引き続き2度目のフルカリック1号。体温37.1、血圧111/90。

骨髄抑制はほとんど起きておらず、白血球2700と3日前と比べてもすでに回復傾向。したがって今サイクルはG-CSFをうつこともなさそう。

ジュースを飲みたいというので、昨日母が持ってきたりんごと人参のジュースを100mLほど飲み、カロリーメイト缶カフェオレ味も半分以上飲む。

10am、H先生がきて、今回のD8はスキップすることに決定。足首の痛みに対しては、薬の影響を見極めつつ、もう少し先にはリリカを処方することも検討するという。

緩和ケア科N先生がきて、ふたたび睡眠薬の種類を変えてみることに。結果的にこれがH先生の言っていたリリカとなる。リリカの傾眠作用と神経痛の両面に期待することになりそうだ。

妻がエマの続きをみたいというので、U-Nextで最終話までみる。あっけない終わり方だった。

昼、アイスが食べたいというので売店でバニラアイス。3/4食べ、カロリーメイトの残りも飲み干し、さらにジュースも飲む。

母が来てから、一緒にU-Nextで映画をみる。新海誠の「言の葉の庭」「最強のふたり(The Intouchables)」「スラムドッグミリオネア」。「最強のふたり」は、体が不自由となった妻には気持ちよく見れない映画だったかもしれない。こういうところ気が利かない私のことも、妻はよく知っているから、見たくなければ見たくないと言うと思ったが、ちょっと配慮が足りなかったかもしれないという気もする。

7pmからミーティングのためフォンブースへ。

9pm前に戻ってきてみると、すやすや眠っている。8pmに飲んだというリリカとロヒプノールが効いたのだろうか。リリカが短く効いてロヒプノールが長く効く組み合わせということらしい。

母と交代して帰宅してもらい、妻を起こさないようにそっと就寝準備。

しかし9:30pm頃、目をさますとしきりに注射をねだるように。今日の日中は落ち着いていたのだが。。。

一週間ぶりの排便ののち、残便感があったのか計3度、ポータブルに座る。初回の分が、ほぼ絶食状態が続いた割には両手一杯ぐらいの下痢便が出た。これのせいで気持ち悪かったのだろう。

ベッドに戻ってからは不穏な動きが復活し、起き上がってフリーフォールで頭から枕に倒れこんだり、ベッド脇に座り込んで前かがみに崩れ落ちてそのままベッドから落ちそうになったり、動きも激しくなってきて危険を感じたので看護師ヘルプを呼ぶ。

それからも、何度も立ち上がりたいと言ったり、注射をせがんだり、わがままな言動が復活。掛け布団をベッドの柵にかぶせたり、ブーメラン型クッションを持ってきたりと、頭をぶつけないように色々工夫する。

長く続く格闘の末、ナースKさんがH先生に電話してくれ、いよいよドルミカム注射持続投与が確定。持続1.5mL/hでフラッシュ1.0mL、初回フラッシュは2mLからスタート。すると、あっさりスヤスヤ眠る。

この日記を終わってみると11:30pm前。

こちらも疲れ切って就寝。

深夜2am頃、なんとなく気配がして目覚めてみると、妻が四面柵の隙間から足を出してだらんと垂らした状態で、ソファで寝ていたこちら側を向いて座っているのに気が付きギョッとする。目も半開きで、ほとんど意識はない。足で私の脱いだサンダルをたぐりよせ、何とか履こうとしている。

ナースコールすべきか迷ったが、ひとまず様子をみることに。そっと話しかけると、ときどき反応がある。そのうち、アイスティーが飲みたいというので、冷蔵庫から出して渡すと、2-3口飲む。フラフラして後ろや横に倒れて頭を打ちそうなので、眠れないんだったらフラッシュしてもらおうかと言うと、頷いたのでナースコール。

また4am頃にも同じように四面柵のこちら側に足を出して座っている状態になっているのに気がつく。アイスティーと、今度はカロリーメイト缶を飲みたいという。しかし、いま缶をあけたら飲みきれないから明日の朝にしようね、といって再びフラッシュしてもらう。

その後も、こちらが寝ている間に同じような状況になっているのにナースが気付き、対処してくれている気配が感じられたので、計3回ほど同じような状況になったようだ。

厳しい状況が続く。

様子がおかしい

結局、ジプレキサゾルピデムでは眠れなかった。

深夜に何度もトイレに行く。記憶にある範囲だけでも4回。毎回、看護師2人の援助を受けつつ、用足しの後は疲れきってフラフラになる。

4am過ぎ、足首の痛みを訴えるのでマッサージしたあと、モーラステープを貼る。テープがなくなったので2パック追加で出してもらう。

9am、O先生がきて、血液検査の結果はむしろ上昇傾向で白血球が3000近くあったと説明。

9:30am、H先生がきて、また足首の痛みが強くなったことを相談するが、根本的な解決方法は聞けず。まずは睡眠の問題から対処しようということに。

フルカリック1号で高カロリー輸液開始。

10am過ぎ、緩和ケア科N先生が岡山大学の精神科のI先生を連れてこられる。今日の日付や100から7を順番に引いていくなどのクイズを出され、せん妄のような症状があるかどうかを聞かれる。妻は足首の痛みと眠れないことを訴える。日中の精神安定剤や夜間の睡眠薬などを処方してもらうことになる。

ようやく少しづつ食欲も出てきているようだが、流動食からはじめるため、カロリーメイト缶カフェオレ味を一口と、Sunkistのオレンジゼリー。

何度もトイレにチャレンジするが、ベッドで端座位になるだけでフラフラして自力で体勢を維持できない。ベッド上で横になったままちりとり形状の差し込み便器にもトライするが、ガリガリで出っ張ってきた尾てい骨が痛くてできない。疲れてはベッドに戻る、の繰り返し。

2pm、母が病院に弁当をもってきてくれたので、車を1日350円のデイパーキングにとめなおして、今日はしばらく病院にいてもらうことに。

談話室へ行き、1時間ほど仕事。

3:30pm、また不在中に吐いたらしい。やはり、私がそばにいなくなると吐くいう傾向が続いている。それにしても、7日目になっても吐くというのは異常に思える。

その後、足首の痛さからか、落ち着きのなさがひどくなり、ベッドから足を下ろしたり、頭をあちこちに振り回したり、前傾したり後傾したり、(膝を伸ばしたくて)立ち上がりたいと言ったりする。どうも様子がおかしい。

ちょうどH先生がきて、その様子をみて、明日の抗がん剤D8はスキップ、ジプレキサも停止することに。

6pm、病室の母に夕食に行ってきてもらう。母は自分自身、むずむず脚症候群のためビ・シフロールを飲んでいるらしい。

7pm、風呂用具をとりにかえった母と入れ違いで、父が心配して様子を見に来た。

8pm、デジレル25を4錠。痛み止めはタペンタ50mgのみ。

8:30pm、母にみてもらっている間に銭湯に行ってくる。

9:00pm、H先生がみにきてくれ、やはり眠れないので鎮静剤を出すことに。その後、母には引き上げてもらう。

9:30pm過ぎ、ドルミカム10mg/2mL。同時に高カロリー輸液を終了。ベッドの四面柵をつける。最後はH先生がセット。1時間あたり1.0mLのペースで開始。

ありがとう、ありがとう

昨夜10pm頃に飲んだレンドルミンのおかげで、やっと5amまで連続で眠れたようだ。

ただ、9pm頃にグッドミンを飲んだあと、1時間ぐらいで目が覚めて、そこで200ccぐらい嘔吐。緑色の液体にわかめが混じっていたらしい。そのあとすぐレンドルミンを飲んだらしい。

今朝は吐き気は少し落ち着いているようにみえるが、これは間違いであることが後ほどわかる。歯磨きをする。

7am、Sunkistのオレンジゼリーを食べる。これを食べるだけで体力を使い切り、お腹いっぱいという。グラノラ&ヨーグルトには手を付けられず。

昨日吐いて汚れた電気毛布を交換してもらい、小便をしようとするがベッドから起き上がるだけで一苦労、今度は排尿が終わってから倒れこむような感じになったので、もう一人ヘルプの看護師を呼んできて二人がかりでベッドへ。

妻が自分から点滴で輸液して欲しい、といい、グルアセト35注で輸液開始。

8am、タペンタ。

2度目のトイレのあとも、また吐きそうになるが何とかこらえる。

1pm、バニラアイスを食べたあと、1:30pm、とうとう嘔吐。

2pm、母が弁当を持ってきてくれる。一度、病院まできたところで弁当を忘れたことに気がついて、また取りに戻ったそうだ。片道40分かかるのに2往復、大変だっただろう。

2:30pm、清拭してもらうが、そこでまた疲れきってしまう。ちょうどそのときH先生がこられるが、清拭で病室がバタバタしていて話せないので引き返してしまう。

3pm、緩和ケア科N先生が栄養士の人たちを連れてきてくれるが、体調が悪くて食事の話をできる状態ではないので機会を改めることに。とりあえず今日からタペンタを半分の50mgに減らし、ジプレキサを復活。

4:30pm過ぎにふたたびH先生がきて、高カロリー輸液を短期間だけ開始すると説明。倦怠感と吐き気がまだあるが、ビンクリスチンはほぼ影響がないだろうとのことで、明後日のD8の投与は実行することになりそう。倦怠感にはステロイドということで、リンデロンを出すのも手だが、長く続けると感染などのリスクもでてくるのであまりやりたくないとのこと。とはいえ、終わりの見えない嘔吐のせいで衰弱しきっていることを知ってもらうため、妻の体を見せ、やせ細ってしまったことを説明する。抗がん剤の効果で、お腹の腫れが今回の抗がん剤コースで一気に引いてきたような気がする、ということも伝え、触診してもらう。

5pm、理学療法士Tさんがきてマッサージをしてくれる。疲れているのか、マッサージしてもらいながらこっくりこっくりしている。その間に、私は銭湯へ。

6pm、風呂上がり、片原町のマルヨシセンターで朝食用のシリアルを買って帰ってくる。

すると、また不在中に妻が吐いたようだ。どうも私が不在中に吐くパターンが多いことに気がつく。

妻が、「Kちゃんが背中をさすってくれていると安心する」というので、狭いベッドに一緒に入って腕や背中をさする。

そして、昨日から考えていたことをちゃんと伝えようと口を開いた。

「昨日、Iがありがとう、ありがとうって言ったときに、おれもありがとうって返したやろ。そんで、Iがなんで?ってきいてきたやろ。あのときすぐに返事できんかったけど、あれから自分でもなんでそんな言葉が出たんか考えてみたんや。」

いったん呼吸をおいた。

「ひとはみんな、好きな人できたり結婚したりするやろ?それ自体もまぁ幸せやけど、普通のことやん。けど、今回のことがあって、自分の人生の何よりもIのことが大事って気がついたんや。そこまで大切に思える人と出会えるってことは、そうそう滅多なことではないと思う。自分ラッキーやなって思って、それで思わずありがとうって言葉が出たんやと思う。」

するとそれを聞いた妻が声を上げて泣きだしたので、

「泣いたらあかん、疲れるで」

というと、無き声で「はい」とかえしてくる。

妻は、私の人生が大きく狂ったことは自分のせいだと思っているに違いない。誰よりも重い痛みと苦しみと不運をぜんぶ一人で背負い込んでいてなお、巻き込んでしまった他人のことを気遣うような人なのだ。

だからこそ、私が仕事や生活のすべてを投げ出し、いつ終わるとも知れない病室で24時間を一緒にすごす生活を選択したことを、夫としての義務感からやっているのではなく、自らの希望で、こうしたいと思ってやっているのだということを伝えたかった。妻が感じているであろう罪悪感の呪縛を解き放ちたかった。

このやりとりを通じて、私の思いは伝わったと思いたい。

7pm過ぎ、安心したのか、妻がぐっすり眠ってる間に夕食。

8:30pm、タペンタ50mgとジプレキサ

9pm、やはり寝付けないのでゾルピデム

続く苦痛

5:30amに目覚めてみると、妻は起きていて、足首にモーラステープを貼られていて、もぞもぞ動いている。

やはり、セルシンは2時間ぐらいしか効かず、ほとんど眠れなかったようだ。こういう苦しいときこそ、眠って時間をやり過ごしたいのに。。。

6am過ぎ、採血。体温37.1度。血圧118/77。

8am過ぎ、H先生がきて、なぜ高カロリー輸液に賛成でないのかについて説明。やはり、点滴で栄養を入れるとますます食欲がなくなるので、腸管のリンパ生成能が萎縮してしまい、免疫が落ちてしまうことが最大の懸念という。これからは、吐き気がおさまってきたら、食欲がなくても食べるということを意識しなくてはいけない、とのこと。また、次回のサイクルからは、ドーパミン経路を阻害できる唯一の制吐剤としてジプレキサも再開したいとのこと。今晩は睡眠薬レンドルミンを飲むことになるらしい。

妻は昨日、売店で買ってきたリンゴ蒸しパンを少しつまみ、グラノラ&ヨーグルトも一口だけ食べる。

その後、カロリーメイトの缶を探しに売店やローソンまで行ってきたが、なかったのでローソンでスタバのカフェラテを買ってくる。一本でカロリーが150kcalあり、タンパク質や脂質もある。

10amぐらい、カフェラテを半分ぐらい飲む。

手を握っていると安心するといい、ベッド脇で手を握り、髪をすくように頭をさすってあげるとすぐに眠りにつく。こんなことでも役に立てるのが嬉しい。

12pm過ぎ、自分が昼食を食べるため、歩いて手打うどん麦蔵へ。かなりの人気店で並ぶことになり、結局入れたのは1pm前。名物かしわうどんが品切れで、天ざるうどんを食べる。

食後の帰路、妻とメッセージしていると、少し前にまた吐いたという。

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1pm過ぎ、母からのメッセージで病室に着いたと連絡あり、弁当、味噌汁、ジュース、着替えの短パンを受け取って、引き上げる荷物を持っていく。

母を送迎してくれた父の待つ車にいくと、愛犬が元気に動き回っているが、体温が高い。やはり食事はとらず、ジャーキーなどおやつだけを食べるという。栄養面で心配だが活発ではあるので様子見。

病室に戻って妻にどのぐらい吐いたのか聞くと、200ccぐらいという。

その後、母が持ってきてくれたスロージューサーで絞ったリンゴと人参のジュースと豆腐の味噌汁を少しづつ口にして横になる。もはやそれだけのことで疲れきってしまう。

点滴3本目。ナースKさんによると、点滴は通常のドリップで1/20cc、張り付きの細いタイプで1/60ccらしい。つまり、500mLのバッグは500x20=10,000滴ということになるので、これを5時間で落とすには56060/10000=1.8秒の間隔で滴下するという計算になる。

もう、ベッド脇に置いたポータブルトイレで用を足すだけでも倒れそうになり、ベッドに戻るとぐったりしてしまう。あまりに体力が落ちすぎていて、どこまでも弱気になっている。

5:30pm頃、2度目の嘔吐。今度は緑色の液体ではなく、昼過ぎに食べた味噌汁の豆腐やわかめなどの形状が混じったもので、量は少なめ。どうも、スタバのカフェラテが要因らしい。

6:00pm頃、また吐きそうになり、胃液だけ吐いたところでストップ。

その後、ふたたび味噌汁とジュースにチャレンジ。

トイレに行くと疲れるので午後から2度しか行ってないが、一度あたりの尿量はかなり多い。相当我慢しているのだろう。

8pmにタペンタを飲み、9pmにグッドミン、それでも効かなければレンドルミン

なかなか出口が見えない。

4日目も止まらない嘔吐

繰り返す嘔吐で眠れない夜を過ごしたあと、6am頃、O先生が採血の結果を持ってきてくれる。

結果、とくに大きな栄養失調には陥っていないとのこと。

少し下痢をして、おむつを履き替える。

7am、めずらしく朝早くに起きている父から電話がかかってきて、迎えに来てくれることに。

7:30am、自宅へ移動中、愛犬の体調が悪いときかされる。早朝から5-6回吐いて、最後のほうは透明な胃液に血が混じっていたらしい。

家に戻って愛犬をみると、いつもの黒い鞄の中に入っていたが、私に気がつくと出てきた。たしかに少し元気がないが、まったく病気で動けないというほどでもない。ただ、何度も前足を伸ばして「伸び」のポーズをとるのが気になり、調べてみるとこれはお腹の痛みがあるというサインらしい。上腹部の内蔵、とくに膵臓などに問題がある可能性があるという。

近所の動物病院の光昇堂がオープンする9amまでに朝食を食べ、風呂に入っておく。9amになって電話予約してみると、救急なら早く処置できるが一般診察なら1時間待ちだという。

父の運転で9:30amに行ってみると、すでに25名の2時間待ちになっている。モバイルルータWiMaxの電波の入りも悪い。とても待てないので、父にはいったん帰宅してもらう。

途中、妻とメッセージのやりとりで愛犬の調子が悪いことを伝える。少なくとも救急扱いではないから待たされていること、「伸び」の姿勢を何度もするからお腹が痛いのであろうこと、下痢はしてないこと、などを伝える。妻は心配しているようで、何度かやりとりする。

11:30am、ようやく名前が呼ばれ、院長の佐々木さんにみてもらう。ひととおり説明して、過去に肝臓の数値に問題があったことなどを説明するが、一目見てそれほど重篤な状況ではないから経過観察でもよいと思うが、患者さんの希望もあるだろうから検査などしますかという。では一般的な血液検査をひととおりお願いします、ということにする。

さらに30分待ち、血液検査の結果を聞くと、やはりGPT (ALT) の値が17-78が正常値のところ151と高く、肝障害が疑われる。また、炎症反応を示すCRP値も正常値0-1のところ1.9と高く、またCRPを合成するのは肝臓なので、肝臓以外に炎症がある可能性が高いという。

リパーゼで膵臓の値が調べられていなかったが、ここが陽性だった場合にとる対策というと胃腸の問題に対する対策と基本的には同じと言われたので、数日様子をみて改善しないようならそのときに採血しましょうということに。

さらに30分待って会計、7250円。すでに12:30pmを回っている。

妻が結果を気にしているので、「あとで話すけど、大したことはないよ」と伝える。「何か食べれない?」ときくと、「ゼリー食べた」「アイスたべれるかも」との返信。「マックシェイクはやめとこか」と聞くと「やめとく」「ハーゲンダッツのバニラ」と。

近所のうどん屋、滝根できつねうどんを食べて帰り、母から手渡された弁当と銭湯用の着替えと、昨日持ってきてもらったのよりも厚めのタオルケットをもって病院へ。

妻とのやりとり。

「いつもどれそう?」 「今帰宅した。2pmぐらいやな。」 「おっけー」 「愛犬、点滴してもろたら元気になったわ。2-3日様子見やな。今そっちむかってます」

2pmに病院に到着。ハーゲンダッツのアイスクリームを買っていく。

すると、12pm頃に一度吐いたという。Sunkistのオレンジゼリーを食べられたというので、てっきり回復傾向なのかと思ったが。。。ゼリーを食べたのは吐いたあとの1pm頃だったという。

その後、私が疲れて少し眠っている間、4:30pm頃にまた吐いたようだ。

5pm、気分転換のため車椅子を出して9階へ。食べたタイミングと吐いたタイミングを考えると、それらの因果関係はあまりないと考えて、食べられるときに食べたほうがよいと話し、一応、売店三つ葉と卵のスープ、Sunkistのゼリー、りんご蒸しパンを買っておく。

妻は疲れきった様子で、もう今回で化学療法を終わりにしたらダメ?ときいてくる。たしかに、この調子で14-16コースもやるとは考えるだけでも気が遠くなるので、答えに窮する。

6pm、さらに3度目の嘔吐。ずいぶん前からのことではあるが、筋肉の衰弱が進んでいるためか、疲れきって眠るときに、もうほとんど目が閉じないので、寝ているのか起きているのかわかりにくい。

気を紛らわせるためテレビをつけたりしたが、エマの続きを見たいというのでU-Nextを。

9pm、デキサート6.6mgを滴下しはじめた直後に4度目の嘔吐。

9:30pm、デキサート滴下の途中でもまた5度目の嘔吐。もう透明の液体しか出ない。

制吐剤の投与中に2度も吐いていたら、なんのための医療行為かという気がしてくる。昨日は7回、今日も5回吐いた。付き添う側も、いてもたってもいられず苦しい思いをするが、嘔吐だけは予防に失敗したらあとから打つ手は限られる。アプレピタントを強くお願いできなかったことを後悔するが、人生のこの段階で後悔ほどクソ役に立たないものもない。

その後、セルシン10mg滴下。妻の手を握っていると、ありがとう、ありがとう、ありがとう、と何度も繰り返す。

10pm、ようやく眠りにつく。

止まらない嘔吐

3日目に入っても吐くというのは今までと違うパターンだ。

6am過ぎ、気分転換したいというので、車椅子を出す。天気があまり良くないので、日光がみえない。9階までエレベーターで上がり、病棟の端から端までぐるっとまわってくる。10Fの緩和病棟をのぞく普通のフロアでは一番落ち着いてて見晴らしがいい。こんな早朝なのに、眼下では5面あるテニスコートが全部埋まっていた。

9am前、H先生がきて、次回からはDay 1前夜からマイナートランキライザーを使って落ち着かせ、アプレピタント(イメンド)を初日から使って全力で嘔吐を阻止しようということに。レスキューにはプロクロルペラジン。睡眠不足の原因かもしれないので、ステロイドを飲むの時間もやはり8pmではなく3pmに戻そう、ということに。

これで、DPC制度への移行の影響でイメンドを出してもらえないのか?などと邪推することもなくなったが、今回の嘔吐には手遅れなので、なんとも言えない気持ちになる。H先生はイメンドは当初から嘔気予防でいちばん重要な薬ではないと言い続けていたが、NCCNの制吐薬ガイドラインではVACレジメンの現在の用量はhigh emetic risk群で、はっきりとアプレピタントは必須だとされていた。

しかし、主治医にエビデンスをたてに異論を唱えるというのはとても勇気がいる行為だ。イメンドが3日分セットで12,000円の薬価が設定された高価な薬剤であることも知っていたし、5-HT3拮抗薬(アロキシ)などの高価な薬も併用しているので、この世は正論をふりかざして問題が解決することはめったにないし、病院経営の視点、あるいは患者や家族にはいえない別の事情もあるのかもしれない、などと忖度してしまう。

妻が、治療のつらさを訴えてくる。抗がん剤治療でなく、放射線など他の方法にしたい、といってきて、この副作用に苦しんでいるのが痛々しいほどわかる。「笑顔でいたいけど、一年以上もかかる治療で、何を目標にすればいいのか、どうすれば明るくいられるのかわからない」という(VAC療法は、本来の横紋筋肉腫に対しては14サイクル、最短でも10ヶ月以上の投与期間となる)。私は、治療が長いからこそ、今を大事にしよう、病院にいるこの時間をただ耐えているだけの時間としてとらえるのではなくて、抗がん剤の副作用がない日々はここでの生活と考えてエンジョイしよう、といった。「おれはIのそばにいられるだけで幸せなんやで」と言ってる途中で、本人の前では見せないようにしていた涙が出てきてしまった。

しかし、これまでは体が痩せてガリガリになってもお腹だけは大きく妊婦のように膨らんだままだったのが、病衣の着替えのときに明らかに平たくなってきたことに気がつく。つい3日前の火曜日、一緒にシャワーに入ったときにはお腹は大きかったのをみていたので、はっきりと感じる。抗がん剤は効いているに違いない!

12pm、アイスクリームなら食べられるかも、というので、自転車でイオンのマクドナルドへシェイクを買いに行くことに。ついでに水、ヨーグルト、カツ丼などを買って帰る。「5分で着いたよ」「すごい」というメッセージのやりとり。

1:30pm、突然吐く。ここまで長い期間、嘔吐が続いたことはないのだが。。。マクドナルドのシェイクで急にお腹を冷やしたのも良くなかったのかもしれない。

しっかりイソジンも使ってうがいして口をスッキリさせたあと、気分転換のため2度目の車椅子。途中、スタッフステーションにいるH先生にきかれて、また吐いた、といわなければいけないのがちょっとつらかった。でも、つらい状況が続いている事実を正しく認識してもらったほうがいい。

行ったことのない最後のフロア8階へ。しかし、昼過ぎは談話室もごったがえしていて、居場所がなかったので9階へ。少し席に余裕があるのがうれしい。少し見晴らしのいい景色を眺めたあと、外にでてみることに。

病院を出て右回りに、自転車置き場へ抜けて、上から見ていたテニスコートが見える位置で車椅子をとめてしばらく観戦。ポーン、ポーンと小気味よい音がきこえる。女性2人組のペアが男女のペアを押していた。女子のほうが強いんだね、といって一緒にクスクス笑う。

その後、さらに進んで少しだけ海岸のほうまで行ってみて、2:30pm病室に戻ってきた。

体重をはかってみると、さらに減少して37kg。

4pmに緩和ケア科のN先生がきて色々と相談。体力が落ちてたらもっと積極的に高カロリー輸液などを使ったほうがいいようにも思うのだが私は抗がん剤治療の経験はないし、そこはH先生の領域なので口出ししにくい、などと本音を聞ける。N先生の担当されてるがん患者は20名程度だが、終末期患者が多いので抗がん剤をやってるのは半数ぐらいらしい。以前に話していて関西弁がポロリと出てた話をふると、姫路で働いてたことがあって、小さい頃から転勤族だったので現地の言葉にすぐ馴染むたちらしい。自分たちも京都で知り合って、夫婦間では関西弁で会話していることなどを話してほっこりする。

その後、ちょっとだけテレビをみて、3度目の車椅子。

6階、9階と行ってから外出して、ローソンの近くまで行って職員用の駐車場を通って戻ってくる。

これだけのことだが、妻は疲れ果ててしまったようだ。まったく体力がなくなっている。妻は、H先生に体重のことと栄養状態のことについて相談したいようだ。

5:30pm、理学療法士のT先生がきて、足をマッサージしてもらう。ここのところ妻は積極的なリハビリができなくて、もっぱらマッサージをしてもらっている。終わった後も、やっぱり足首のしびれがあるようなので、私が追加でマッサージ。先生のマッサージはやさしくて弱いからあまり効かないんだよねー、という。昔から妻の足首マッサージをしていた私は、かなり強めにギューっと押したほうがいいと知っていたので、やはり慣れた人間がやるのがいいのだろう。もしかしたら、このしびれも栄養失調と関係あるかもしれない。

7pm、先生がこないので一人で食堂へ行ってカレーうどんを食べてくる。

9pm前、映画をみてる最中に3度目の嘔吐。血糖値125で、数値自体には緊急を要する事態ではないが。。。

というわけで、さらに点滴を追加。今日、この4本で合計500kcalらしい。高カロリー輸液についてもナース副看護師長Kさんに相談してみる。

9:30pm、さらに4度目の嘔吐。さすがにひどすぎる。300ccぐらい嘔吐。

9:45pm、睡眠薬としてジプレキサを飲む。

しかし1am、またしても吐く。5度目の嘔吐。もう、見てるこちらが限界。。。

3am、6度目の嘔吐。

3:30am、7度目の嘔吐。もう吐くものもないので、緑色の胆汁ですらなく、白い液体のみ。

何度も何度も妻の苦しそうな動きで目が覚め、ナースコールし、吐瀉物をビニール袋をかぶせた容器で受け取りながら背中をさすり、いっぱいになると別の容器で交互に受ける。その間にビニール袋を新しいものとさしかえ、容器が常に妻の口元にあるようにする。看護をするだけでも神経をすり減らして大変なのに、当事者である妻の苦しみはいかほどだろう。

4:30am、O先生の手引きでジアゼパムセルシン)点滴。同時に採血も。呼吸停止のリスクがあるので、滴下中はO先生が付き添う。このおかげで1-2時間ほど眠れたが、結局はその程度で終わってしまう。

5度の車椅子散歩

昨夜から早朝にかけての3度の嘔吐でバタバタし、睡眠不足で消耗しきっているところ、6amに同僚からの仕事のメッセージでそのまま起床。投資家対応で急ぎの用件なのですぐに電話して欲しいと言われる。

妻のそばを離れたくないので、病室から電話する。なるべく静かに過ごさせてあげたかったのだが、仕方がないので小声で話す。なるべく、妻に漏れ聞こえる話の中身がポジティブなものとなるように、意識して話をする。

とうとう妻が苦痛のあまり「しんどい。どうしたらええんやろう」と言ってくる。自分には、背中をさすってあげることぐらいしかできない。その後もまた「今回は今までで一番しんどい。どんどん蓄積していくんかなぁ」と不安を口にする。

なぜ、妻がこんな目にあわなければいけないのか。自分には何ができるのか。

7am、気分転換のため、車椅子を出して病棟内を散歩し、少しだけ朝日の光を浴びる。しかし、やはり体調がすぐれないのですぐに病室に戻る。

何度も大便に行くのでほとんど尿測ができない。まずウルソだけ飲む。

8am、もってきてくれた薬のうち、デカドロン4mg錠とナゼア0.1mg錠をまずのむ。吐き気が心配なのでタペンタは保留。ナゼアはあてにできないがステロイドのデカドロンは吐き気の緩和が期待できる。せっかくオピオイドを経口剤のタペンタに切り替えたのに、吐き気が強くなった今となっては飲むことがつらく、点滴のほうが良かったと思えてしまい、もどかしい。

朝だけで4度目の下痢。さすがに疲労困憊だ。

その後、落ち着きがなくベッド上でそわそわするので、タペンタ100mg飲んだところでふたたび車椅子を出して日を浴びにいく。またすぐ病室に戻る。

H先生がきて、今日はタペンタの残り25mg飲まなくて100mgだけでもいい、と言ってくれる。吐き気の苦痛のほうが痛みより大きいのでありがたい。また、食事がとれてないので点滴で補液を3本。ステロイドは、いつも8amと3pmで夜に効力が切れる傾向があるので、なるべく血中濃度が安定するように8am/8pmのサイクルでもokとなる。いずれにせよ嘔吐で眠れてないので、ステロイドの副作用よりも作用の不足を考慮するべきだろう。

どうも、お腹の音が弱いらしい。胃腸がうまく動いてないようだ。

ベッドの上で落ち着かず、ずっと起き上がったり変な姿勢で横になったりして苦しんでいるのがわかる。

気分転換のため、3度目の車椅子。途中で緩和ケア科のN先生とバッタリ会い、昨夜大量に吐いたこと、タペンタ100mgしか飲めなかったことなどを伝える。とりあえず、100mg飲めていればいいだろうと言ってもらえる。

昼前で太陽が真上なので、外まで出てみることに。正面玄関から右へ、日の当たるところまで行き、逆に取って返して通用口方面へ行くと風が強かったので引き返す。売店で手鞠寿司とポカリを買い、談話室へ。妻のアイスティーを病室の冷蔵庫から持ってきて、ひとりで手鞠寿司を食べながら、広い窓から見渡せる外の景色のいろんなものを見つけては談笑する。

いつも病棟にいる耳の遠い背の曲がったおばあちゃんのこと、煙の出ている煙突のこと、近場の古いマンション、100円ショップや、ボウリングのピンが屋上にある建物、銭湯にいるヤクザの身の上話、父の高松時代の昔話などなど。

こんなひとときが、じんわりと温かい。

病室に戻ってからも、やはりベッドで落ち着かない様子だったので、ソファのところにきて寝てもらう。両足を私の肩の上に乗せて足首のアキレス腱を強めにマッサージしてやると、気持ち良いという。昔からよく、一日中歩いて疲れたときなど、足首が痛いといって、こうして足首のマッサージをしてあげていたことを思い出す。

そうこうしている間にも、やはり落ち着きがなく、「ぼくはIに何かをしてほしいって言ってもらえると嬉しいんだよ。だから、車椅子を出して欲しいって言ってもらえると、すごく嬉しいんだよ」と伝えておいたからか、また外に出たいという。

4度目の車椅子。

途中、談話室が大掃除中でテーブルや椅子がどかされていた。

天気がよく、暖かい。妻は、ストールとケア帽子とマスクを身につけている。今度は、病院の正面玄関からスロープをおりて、右回りで駐輪場に行く。「これが借りてるチャリ(自転車)やで」と見せてあげながら、駐輪場を抜けて裏手へ出る。ほっかほっか亭のある側の海岸を見ながら回りこみ、遠隔地から住み込む医師用の宿舎を右手にみながら駐車場方面へ。駐車場の隣にある広い緑の公園のようなところも歩いてみる。その後、去年末にお世話になった救急外来をみながら通用口から病院へ入る。

その後、すぐ病室には戻らずに、6階の談話室に行ってみる。1階上がるだけで、いつもと違う景色がひろがり、テニスコートでプレイする人々の姿がよく見える。自動販売機でお気に入りのFauchonのレモンティーを買い、外を眺めていると、母からFaceTimeのコールがあり、病室にタオルケットと新しいピローケースを持ってきて、寝袋を持って帰ったときく。その後、妻は疲れたのかテーブルで突っ伏して寝ようとするので、病室から枕を持ってくることに。妻が寝てる間に読もうと、母が図書館から借りてきてくれた日野啓三の「都市の感触」も持っていくが、結局、談話室が寒いので病室に戻りたいという。

病室に戻って、ソファのところで横になったりしてみたが、やはり落ち着かず、ベッドに戻る。何度もトイレに行き、下痢を繰り返す。

その後、H先生がきて、出来る限りの吐き気コントロールはしているのだが、次回からは予期嘔吐のための薬も使おうという話に。先生はいつも親身に話を聞いてくれる。はじめて、妻が自分のことばで副作用のつらさを訴える。ぼくからも、今までで一番つらい一日だということを伝える。先生は、薬はもう飲まなくていいと言ってくれる。それから、下痢も続くようなら薬を出すとも。

理学療法士T先生がきてくれて、妻はしんどいのでリハビリはできないが足首のマッサージをしてほしいと自分から伝える。

いよいよ、午後だけでも数回の下痢(完全な水便)が続いたので、下痢止めの薬をお願いする。ロペラミド錠剤。

5:30pm、5度目の車椅子。

ちょうど出ようとしたところで緩和ケア科のN先生がきて、嘔吐や倦怠感などについて相談。タペンタは100mgで良いと再確認。足首の疲労感で落ち着かないことを伝えると、むずむず脚症候群かも知れないという。治療薬としては飲み薬になるというので、詳しく聞いてみると、やはり精神系の作用とのことで、ジプレキサとの併用が大丈夫かたずねると、そういえばジプレキサの副作用にも似たような症状の報告があるので、とりあえず長期投与しているジプレキサを止めようということに。

その後、車椅子で各フロアの談話室めぐりをしてみようということで、次は7階へ。また違った種類の自販機や、リハビリの器具が置いてある。次は一気に10階へ。ここの談話室は圧倒的に見晴らしが良い。そして1階に降りて行くが、外はもう日が落ちていたので、売店で塩さば弁当だけ買って帰ることに。

その後も足首の痛みが収まらないようなので、残っていたモーラステープで局所麻酔を試みる。

しかし、あまり効果がないようで、やはり落ち着かないので、今度は浮腫対策用のバンデージで足首を締めてみることに。

8pmにデキサメタゾン4mg錠とタペンタ100mg錠のみ飲む。

下痢もようやくおさまってきた。

しかし、8pmに飲んだステロイドの影響で眠れない。

11:30pm頃に睡眠導入剤グッドミンを出してもらったが、1時間ぐらいウトウトしてまた目が覚めたので、今度は睡眠薬を出してもらおうとしたが、もう出せないと言われて却下される。

と思ったら、深夜3amにいきなり吐いた。

8pmに飲んだステロイドも効かなかったようだ。

目まぐるしく感情が揺さぶられる一日。