ある卵巣がん患者配偶者の記録

2015年1月から9月までの戦いの日々

最後のメール、最後の電話

朝、清拭と着替え。

体調はどうかと思い、いろいろ尋ねるが、言っていることが支離滅裂で会話が成り立たない。葡萄を食べたいというので出すと、「これ何ていう町だっけ。エディンバーグ?」などという。「これ、町じゃなくて葡萄のピオーネよ。もしかしてBreaking Badのハイゼンベルグのこと?」「喉が乾いた」「じゃ葡萄を食べよう」と、終始そんな感じ。

気になったのでナースSさんに昨日の複視の件も含めて話すと、目にライトをあてたり、名前や誕生日、場所などについて質問をし、きちんと応答できることを確かめる。尿量が少ないことと関係あるかもしれない、というようなことを言う。腎不全の可能性があるということだろうか。

なお、この日に届いたメールに私が代筆して返信して以降、もう妻が自力でiPadのメールを開くことはなかった。

朝食は葡萄を2粒食べる。その後、イメンドだけ飲む。

9am、H先生がこられて、ナゼアは飲まなくて良い、デキサートは点滴で、ということに。また、利尿剤をかけて引っ張り、そろそろ経口栄養が足りないので高カロリー輸液をかけようという話に。

記憶にないが、おそらくこの時間帯にデキサート6.6mg滴下したはず。

その後、父から電話があり、iRxMedicineへの振込ができないという。振込名義人のところに個人名が入っているようだが、窓口の人は教えてくれない。そこで、店舗のATMから送金することに。

1:03pm、この日に妻の実家に電話したのが、妻の携帯の最後の発信。

7pm、ミーティングのcallをすると、パートナーがNYCに引っ越してミーティングの時間を調整しわすれていて、これからは水曜の日本時間6amに。

3am、汗をかいたようで、体位変換のついでに着替えさせてもらっているのがわかる。